この事件は、1945年2月25日におきた15基の未確認飛行物体(UFO)との接触事件である。

目撃されたのはアメリカ合衆国ロサンゼルス州。

第二次世界大戦まっただ中おであったアメリカ国内で対空監視を行っていた兵士が、ロサンゼルス市内に向かって飛行する謎の物体を目撃したのである。

はじめ、この飛行物体を補足したのは当時最新鋭の航空レーダーだった。謎の飛行物体が確認されたのは、ロサンゼルスから194㎞沖の太平洋上空。しかも、その数はなんと15基。すぐさまロサンゼルス市内に空襲警報が発令され、航空監視用のスポットライトが一斉にロサンゼルス市上空を照らし出した。

その時、上空に映し出されたのは15基の円盤型飛行物体。飛行していた高度はおよそ2700メートルから5400メートル、その速度は160㎞程度であったとされ、まるで人々を観測するようにゆっくりと飛行していたという。

この飛行物体に対し、ロサンゼルスに配備されていた対空砲や高射砲による迎撃行動を開始。およそ1400回もの攻撃を行ったものの、撃ち落とされた無円盤型の飛行物体は一機もなく、そのままロサンゼルス上空を飛び去っていった。

この時目撃された飛行物体は赤色と銀色をした2種類のUFOであったとされる。

また、ロサンゼルス上空では75㎞という超低速であったのが、市内上空を離脱する瞬間などに最大29000㎞、つまりマッハ23という尋常ではない速度でジグザグに走り抜けていったという証言もある。

このとき、このUFOを目撃した人物によれば

「どこからか突然出現した小型の物体が、空いっぱいに広がってジグザグに飛行した後、手品のように消えた」

「その数は15基ではなく、30機から40機はあったと思う」

「6~9機の発行体が編隊をくみながら低速でロスの上空を飛行していた。まるで地上の騒ぎに気が付いていないみたいだった」

このように、多くの証言はバラつきがあり、当時の混乱ぶりがうかがえる。
ちなみに、この時ロス上空を飛行していたUFOからの攻撃は一切なかったが、大量に打ち込まれた対空砲火のためその破片が建物にあたった。また、この騒ぎによって心臓まひを引き起こし、三人の人間が死亡している。

この事件の後、当時アメリカ海軍長官であったフランク・ノックスが国民にたいして政府の見解を発表。それによれば「当夜戦闘機は一機も飛来せず、戦時下で神経過敏になったことによる、なんらかの誤認であった」とし、敵機の襲来説を撤回した。

UFOの襲来事件が日本軍による真珠湾攻撃の三ヶ月後であったことや、この事件が起きる二日目にサンタバーバラ北のエルウッドの沖合に日本海軍の潜水艦が浮上したりと、この時のアメリカはいつ来るかわからない敵機に怯えていた。当時の首相であるルーズベルト大統領も「アメリカの中に敵の攻撃から安全場所はない」とラジオによる演説を展開。むろん、国民にたいする日本軍への敵意を扇動する目的であったのだが、それだけアメリカ国民の間に空襲の恐怖が蔓延しつつあったのである。

こうした扇動的なアメリカ政府の活動と、日本軍の活発な動きによる、ロサンゼルスで集団パニックが起きたのでは?といった説や、この空襲自体がアメリカ軍の自作自演(夜空にスポットライトあてるなどして作った偽物)であったのでは?といった説が多い。

しかし、近年になり、機密開示がなされた文章の中から、当時の陸軍参謀総長ジョージ・C・マーシャルがルーズベルト大統領にあてた手紙の中で、このロサンゼルス空襲事件に関する文章が発見されたのである。
『未確認の飛行機複数がロサンゼルス上空にあり、対空部隊の射撃を受けた。15機にのぼる飛行機がいたと思われ、飛行速度は非常に遅いものから時速200マイルまで様々な報告がある。高度は9,000から18,000フィートの間。投下された爆弾はなく、味方部隊の被害もない。撃墜された飛行機はない。アメリカ陸軍機も海軍機も飛行していなかった。調査は続行中であるが、もし未確認の飛行機が関与しているのならそれは民間機であり、敵の工作員が不安を煽り、対空砲の位置を暴き、灯火管制で生産性を低めるために飛ばしたと結論するのが妥当だと考える。これは飛行速度がまちまちなのと、爆弾が投下されていないことからも裏付けられる』

つまり、この時現れたUFOは政府の陰謀などではなかったという事である。

現在この事件に関するもっとも有力な説は『集団パニック』説であるが、空襲警報が発令されたからといって、なぜ市内の民間人はおろか、軍人達までもがUFOの幻覚を見なければならなかったのか。
その謎は、いまも解き明かされてはいない。

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