ミシャラク事件とは、カナダ、マニトバ州ファルコン湖で発生した謎の被爆事件である。
1967年5月19日、この日機械技術者であったスティーン・ミハラクは、週末をマトバニ州にあるファルコン湖周辺で過ごす予定であった。
モーテルに到着後、午後5時30分には彼は荷物を置いてファルコン湖を目指し歩き始めた。ファルコン湖に着くと、彼は趣味である地質学の研究のため、湖に流れ込む川の近くの石英脈を調べはじめたのだが、その後、彼の目の前に奇妙な円盤型の飛行物体が現れたのである。
この飛行物体は直径1,50メートル程で、赤いメタリックのUFO(未確認飛行物体)であった。しかもUFOは二期飛来していたらしく、ひとつは空中に浮かんでおり、もうひとつは地面に着陸していとミシャラクは証言している。
二基のUFOを発見した彼はその着陸しているほうに数フィートのところまで近づいたのだが、それが彼の方にやや傾いたかと思うと、胸部にヒリヒリするような痛みを感じた。それでも好奇心が勝った彼は、その乗り物のところまでいって表面に手を触れてみたという。だが、とたんに彼のはめていたゴム引きの手袋は溶け始め、その物体が飛び上がった際には着ていたシャツが燃え始めた。彼は慌ててその場から逃げだした。体についた火を消すと、モーテルまで戻った。しかし、体調は悪化する一方だったため、自分の息子を呼び、そのまま近くのミサリコーディア病院で胸にできたヤケドの治療を受けた。
それからの数週間、彼は再びモーテルに戻ったものの、絶え間のない吐き気や嘔吐、下痢に苦しむ事となった。
検査を受けると、白血球の急激な減少が認められた。原因がわからなかったため、5月23日には放射線治療室で検診を受けたが異常は見られなかった。
しかし、同じ月の28日には、それまで80キロ以上もあった体重が一気に70キロ以下まで減少していたのである。
翌月、7月3日には胸の周りに吹き出物出始め、またたくまに首、耳とさらに広がりはじめた。さらに9月以降になると、さらに様態が悪化。腹部には謎の幾何学模様の火傷跡が現れはじめ、さらに吐き気、失神、追うとなどが繰り返し彼を襲った。
それまで、27人もの医者がこの症状を診察したが、結局、誰ひとりとしてミシャラク氏の症状を説明できる医者は誰も居なかった。
その後、ミシャラク氏はアメリカ合衆国ミネソタ州にあるマヨ・クリニックで2週間にわたる精密検査を行う。その結果、血中になんらかの化学作用によって発生した不純物が発見された。これを発見した医師の見解は『超音波、もしくはガンマ線の類を浴びたのではないか』と結論づけ治療を開始。6ヶ月後には見事健康を取り戻し、ミシャラク氏は無事退院する事が出来た。

それから1年が過ぎた1968年5月。
ミシャラク氏が遭遇したUFOの着陸地点では、ある金属棒が地元民によって発見された。
この金属棒を調べた結果、なんと放射能を帯びており、同時に採取された付近の土壌も同様に放射能に汚染されていたという。
さらに、付近には謎の金属片がちらばっていた。これは後に調べた結果、純度97%という高純度の銀であり、その時の製錬技術ではほぼ不可能に近い程の純銀であった。
これらが指し示すものは一体何か?ミシャラク氏は放射能を被爆したのか?そして、付近におちていた金属はUFOの機体からこぼれた何らかのパーツであったのか?ミシャラク氏が見た2基のUFOは一機が故障しており、もう一機はその救助にやってきていたのか?これらの事件の真実はいまだ不明だが、謎の放射性物質と、それに被爆したミシャラク氏の治療データが、これらの事実が嘘ではないことを物語っている。