【1978年】エミルシン事件

1978年5月10日の早朝、ポーランドのエミルシンという村で、ヤン・ウォルスキーという当時71歳の老人が宇宙人と遭遇した事件である。

【事件の経緯】
その朝、ウォルスキーが森の中で荷馬車を走らせていると、前方に2つの人影のようなものが見えた。それはダイバーが海底を進むように、しなやかにジャンプしながら、ウォルスキーと同じ方向に進んでおり、ウォルスキーが通り過ぎようとすると、彼らは荷馬車に乗り込んできて、彼の両側に静かに座ると、進み続けるように指示した。
その間、彼らは不可解な言葉を話していたという。
しばらく行くと空き地があり、そこに白っぽい物体がかすかな音を立てながら浮かんでいた。後にウォルスキーが説明したところによると、それは短いバスのようだが、小屋のような屋根があり、長さ5m、幅3m、高さ2.5mほどの大きさだったという。さらにそれは、ニッケルで鍍金したように輝き、窓はなく、四隅にはドリルのようなものが高速回転していたという。それには昇降装置がついており、ウォルスキーは彼らに促されるまま、飛行物体の内部に入っていった。
中に入ると、そこには同種の生物がさらに2体いた。
部屋の中は長方形で、開いたドアから日が差し込む以外、内部に照明などはなく、壁、床、天井はすべて灰黒色で、四方の壁には黒い2本のケーブルで座席が固定されていた。
また、床の上にはカラスなどの鳥が10羽ほどおり、頭や目を動かすことはできるものの、麻痺したように動かなかった。
それら4体の生き物は、性別が不明で、身長は140~150cmほど、繊細でスリムな体型をしており、灰色がかった黒いゴムのような素材のタイトな服で顔と手以外の部分を覆っていた。皮膚はオリーブグリーンまたは緑がかった茶色で、頭が比較的大きく、頬骨が高く、目はアーモンド形で白目がなく、髪は見えなかったという。
また、彼らはつららのようなものを食べており、ウォルスキーにもそれを勧めてきたが、彼は断ったという。
彼らは丁寧で穏やかな物腰だったため、ウォルスキーは彼らに恐怖を感じなかった。
彼らはウォルスキーに服を脱ぐように指示すると、スープ皿を2枚合わせたような円形の機械で検査を始め、脱いだ服も丹念に調べた。検査は10分ほど続いたという。
すべてが終わり、ウォルスキーが服を身に着けると、彼らはもう帰っていいというような身振りをし、無事に彼を帰したという。

【事件の調査】
その後、ウォルスキーはこの事件を警察に通報し、調査が行われた。
それによると、ウォルスキー家から西へ1kmほどのところに住むポピオレグ家の6歳の少年エイダを始め、少なくとも20人がこの奇妙な飛行物体を目撃していることがわかった。エイダは、バスに似た飛行物体が非常に低く納屋を飛び越えていくのを見たという。
また、エイダの母親はその日の朝、雷のようなノイズを聴いたと話している。

事件に遭遇したのが農家の老人であったことや、主な目撃者が6歳の少年であったことから、当時の懐疑論者は事件を作り話と捉えていたようである。

しかし、ウッチ大学の心理学者リヒャルト博士と社会学者ボルナー博士は、ウォルスキーに対し徹底的な調査を行っている。テーマ統覚テストやIQテストを実施したほか、うそ発見器等を用いた調査や眼科や臨床のテストも行われている。
また、ウォルスキーのバックグラウンドも徹底的に調べられたようである。その結果、ウォルスキーは第二次世界大戦前に一度ウクライナへ行った以外、地元を離れたことがなく、さらに彼の家にはテレビも無線機もなく、息子がたまに持ってきたときにだけ新聞を読むことがわかった。ボルナー博士によると、ウォルスキーには自分の家に関する農業などの知識しかなく、単純な作り話さえ作る能力がなかったという。多くの検査の結果、ウォルスキーは非常に信頼できる証人であると結論づけられた。

【事件現場へのアクセス】
事件のあったエミルシンは、ポーランドの首都ワルシャワから南東に145kmのところに位置し、東部ポーランドのルブリンの中にある小さな農業集落である。ルブリンには国際空港があるため、日本からの場合はドイツなどを経由してルブリンまで行き、そこからタクシーなどを利用して行くことができる。
また、ウォルスキーが事件に遭遇したエミルシンの現場には、ワルシャワに拠点を置くUFO 研究組織ノーチラス財団によって記念碑が建てられている。

【備考】
尚、事件の当事者であるウォルスキーは1990年1月8日に82歳で亡くなっているが、1978年7月にヘンリクとクリスティーナによって行われたインタビューにおいて事件の詳細を語っており、その音声テープは今も残されているという。