1989年9月21から10月2日頃
ゴルバチョフ政権の下、ペレストロイカやグラスノチの政策が推し進められていた崩壊前夜のソビエト連邦の、首都モスクワの南約480キロにあるヴォロネジ市で、奇妙な出来事が数日に渡り目撃された。ヴォロネジ市は、中央黒土地帯の経済、文化の中心地であり、人口100万近い。
 9月21日から10月2日まで、この付近でUFOが連日数千回に渡り目撃されるが、特にこの事件を特徴付けるのは数回に渡るUFOの着陸と宇宙人と思われる乗組員の目撃である。以下はその何回かある着陸目撃証言のうちの一部である。

 9月23日の目撃 
9月23日夜8時15分頃 レヴォベレジュニ公園の近くの12階建てのマンション近くで、小学生6人が遊んでいた。すると道路を隔てた第33小学校の屋根の上の方からバラ色の光の玉が飛んでくるのが見えた。その飛行物体は、公園のポプラの木の上で30秒くらい浮いて、その後着陸脚を出し着陸した。様子をうかがっていると、中から三体、人間らしきものが出てきた。一体は約1.5m、二体は2mくらいでロボットのようだった。彼らは飛行物体の周りを歩いて何かをしているようだった。歩き方はロボットのようで、地面から浮いているように見えた。一体が、レンガ程の大きさの箱のようなものを持ち、それを地面に置くと、それは空中に浮き輝いたが、しばらくするとその箱は消えて無くなった。
 その後、三体はUFOに戻り、南の空に飛んで行った。(たけしと矢追氏のテレビ番組より)

 9月27日の目撃
 9月27日 夜7時頃 件の12階のマンションの住人ジェーニャ.ブリノフ君(小学生)は、レヴォベレジュニ公園に向かう途中、大きな赤い光から、小さな光体が飛び出し、公園上空に飛んでくるのを目撃した。
光体は赤い光に包まれた直径10mくらいの大きな丸い物体で、50m程離れたポプラの木の上に止まった。23日の着陸と同じ場所だった。UFOの下にはハッチらしき物があった。UFOは地上5m近くまで来て、下から着陸脚が出してきた。そして時間をかけて(五分くらい)ゆっくり着陸した。
ハッチが開き中から強い光が漏れてきた。UFOの周りには窓が多く付いていたが、光は付けていなかった。2分くらいして、大小三体(大1、小2)の宇宙人らしきものが出てきた。小さい方は1m強くらいで、シルバーのジャンプスーツのような服、ブロンズの靴を身につけており、手が長く異様に大きな頭、目は横長で白く光っていた。小のうちの一体は、赤い線が付いた細長い金属状の機械を地面に置いて何かをしていた。大きい方は首がなく、膨らみがあるのみ。身長2mくらい。胸には丸い機械があり、直立不動だった。小さい方の一体がベルトの四角い部分に触ると、ロボットのように動き出した。(たけしと矢追氏のテレビ番組より)

 他の27日の目撃
レヴォベレジュニ公園で遊んでいた第33小学校の生徒と、停留所でバスを待っていた大人たちの証言。男子10人女子2人(9~11歳?)の生徒は、夕方6時30分頃、赤い光が真っ直ぐ近づいてくるのに気がついた。その光が垂直に降下してきて、赤い卵形をした物体だとわかった。
 UFOは着陸場所を探すように動き、一度消えたものの、数分後に再び姿を現し着陸を開始した。
 UFOは地面から1.5mのあたりで側面のドア(ハッチ?)を開き、ずんぐりした宇宙人が出てきて、ゆっくり動いた。宇宙人は光る3つの目を持ち、頭がないもしくは半球形をした小さな頭があるだけで、中心の目はあちらこちらを見回していた。鼻は小さな穴であり胸には円盤形の物が付いていた。しばらくして宇宙人はUFOに戻って行った。
 10~12mくらいのUFOから、バナナのような4つの着陸脚が伸び着陸した。中から2~4体の宇宙人が出てきた。一つはロボットのような小型、残りは3~4m身長で、銀色の服と銅色のブーツを履いていた。
 一体の背の高いヒューマノイドが命令のような音を発し、胸の円盤から三角形の光線が草の上に発せられた。子供が泣き出すと、リーダー格の宇宙人が輝く目でこちらを見つめ、その子は固まって身動きが取れなくなった。他の子供たちが泣き叫ぶと、宇宙人は姿を消した。
 五分後、再びUFO同じ場所に姿を現した。同じリーダー格の宇宙人がピストルのような50cm程の管を身につけていて、そこからの光線で16?歳の少年の姿を消してしまった。宇宙人とUFOが去ると、少年は再び姿を現した。
 子供たちの描くUFOの絵にはロシア語のジェーもしくは漢字の王を90度回転させたようなマークがあった。UFOは20mの大きさの地面のへこみ、4つの広さ15~30cm、4~25cm程の深さの穴を残した。
 幅25m、深さ2.7m?のもう一つの穴がヒューマノイドがサンプリングしていた近くに見つかった。いくつかの情報によれば、磁場の狂い、そして通常の倍以上あるガンマ線が検出された。(30~37マイクロレントゲン/h)
 証言の一部で、宇宙人の姿は小さく灰色がかった緑色の顔、ぶかぶかのレインコートのような青いオーバーコートのような姿をしていたとのことである。

 9月28日の目撃
先の二日の証言とは別の場所にUFOは着陸した。
28日、夜8時15分頃、第33小学校の生徒、デニス.ムルゼンコ君が外で遊んでいると、赤っぽい光に包まれた卵形の物体が飛来、木の葉が落ちるように左右にひらひらと飛びながらやって来た。その当時なかったが今は倉庫が建ったところの上で一旦停止、UFOから脚が出て降下して来た。直径は約5mだった。UFOは白い光を放ち、金属的な音を発した。機体にはドアのような物があったが、開くことはなかった。ドアにはロシア語のジェー、もしくは王を90度回転させたようなマークがあった。(たけしと矢追氏のテレビ番組より)

ヴォロネジ地球物理学研究所の調査
同研究所スペクトル分析部長のゲンリフ.シラノフ氏の調査によると、着陸現場では直径15~16cm、深さ4~5cmの穴が6カ所あり、そこからUFOの重さは推定11.5t~13t。穴からは自然の2倍の放射性セシウムを検出。現場の中心点では磁力線が以上に低くなっていた。調査結果はタス通信に伝えられた。
調査手法の一部にダウンジングという非科学的な手法を用い、その部分が調査結果の一部信憑性を欠く原因を作っている。

国営のタス通信からAPを通し一連の目撃事件は全世界に打電された。
西側メディアもこぞってこのグラスノチが施行されてなければ伝えられなかったであろうソ連のこの事件を伝えたが、反応は否定的な意見が多かった。
これだけの大きな事件であればシラノフのような下っ端ではなくゴルバチョフ自信が発表するだろうことの指摘やUFO研究家でさえ、過去の宇宙人のデータと適合しないと、作り話説を上げている。例えば2~4mという従来と比べて大きすぎる宇宙人のサイズ、信憑性が疑われているスペインのウンモ星人事件の物体についていたロシア語のジェーに似たマークが付いていたことも信憑性を損ねているが、情報統制著しいロシアでグラスノチが始まったばかりでそういった情報源にアクセス出来た可能性は少ないとの見方もあった。一方フランスのCNESは冷静な調査を進めた。フランスのテレビでは、物体の形が1964年のニューメキシコ州のソコロで目撃された銀色の卵形のものに酷似していて、ウンモのシンボルが付いていたと報道した。

ジャック.ヴァレ博士の調査見解
 数々の疑念があるものの「この現象自体が物理的に存在するのは疑いようにない事実である」としている。彼がロシアに滞在中もヴォロネジから電話があり、UFOが原子力プラント上に現れ、地面に向かって光線を発射。光線がアスファルトを焦がしたとの報告を受けている。

ヴォロネジ事件の前後でもロシアではUFO目撃事件が頻繁に起こっている。中でも6月6日の中央ロシア ボログダ地方では着陸事件が起こっており、「黒っぽい服を着た、頭のない人間そっくりの膝の下まで届く程手が長い生き物」が目撃されている。とりわけ特筆すべきはある婦人が宇宙人と一緒に歩いた後に大勢の前で姿を消し、そして突然戻って来たが、全く自分の身に何が起こったか訳が分からず泣き叫んで気が狂ったようだったという話もあった。
日本でも同じ時期に熊本県人吉市で20人以上が赤い光を目撃している。 

まとめ

 以上が大まかにこの10日間あまりに起こった目撃事件の概要である。UFOだけで目撃は数千回以上。着陸は9月21日から10月2日にかけて数回あり40人近くが目撃している。
目撃された宇宙人は大抵3~4体でありそのうちの小さい方が身長1~1.5m。大きい方が2~4m。このどちらかがロボットのようであり、その一方が宇宙人のようであるが情報によって様々である。大きい方は大抵首は無いか半球形であり目が二つないし三つ、おそらく三つ目の場合真ん中の目は鼻の誤認であろう。いずれも手というか腕が異常に長い。シルバーのジャンプスーツとブロンズのブーツを履いていた。四角いレンガのような赤いラインの入った箱状のものを地面に埋め込んだとも置いたとも言われ、サンプリングのようなことをしていたのだろうが、実際その行動の意図したところはわからない。目撃した少年の一人が連れ去られたがそれも僅かな時間でありUFOが去るとすぐに再び元の場所に戻された。
当時の西側メディアの報道はともかくも、実際この事件の信憑性は非常に高いと言わざるを得ないが、UFOのドアの部分と巨人宇宙人のベルトに付いていた王の字のマークはウンモ星人事件のマークと一致しており、このウンモ星人事件のUFOが、糸で吊るした痕跡が発見されるなど著しく信憑性を欠いているだけに、この一致は不思議なことである。当時、ソ連のUFO研究家ボリス.チェリノフの著書によってロシアでもウンモ事件を取り上げられていたこともあり、その情報が何らかの形で混入したことも考えられるが、現地の研究家の調査によれば、子供を中心とした目撃者にそのような可能性はほぼ考えられないという。
このヴォロネジ事件とマルタ会談が丁度2ヶ月後の12月2日、3日と時期的に近いため事実上この米ソ冷戦の終結は宇宙人に対する米ソの恐怖を起因としているとの噂もある。あるいは否定的な噂としてペレストロイカが浸透していることを宣伝するために捏造したのだと言う見方もある。本当であれば末端のシラノフに任せず、ゴルバチョフ自身が発表しただろうという意見である。何れにしても政府によって情報が公開されたUFO事件として画期的な衝撃を与えたと言える。

参考文献 資料

*ニホンテレビ/緊急UFOソ連現地取材特報!!ビートたけしvs矢追純一UFO対談(1989年12月6日放送)
*人はなぜエイリアン神話をもとめるのか/徳間書店/ジャックヴァレ著 
*ネットブログ/UFO事件簿 
他多数。以上