【1975年】トラヴィス・ウォルトン事件

1975年11月5日、アメリカ合衆国アリゾナ州のアパッチ・シトグリーブス国有林で、森林伐採夫7名がUFOを目撃し、そのうちの1人トラヴィス・ウォルトンだけが姿を消した。5日後に憔悴して帰ってきたトラヴィスは、宇宙人に誘拐されていたと主張し、全米で大論争を巻き起こした事件である。

【事件の経緯】
その日の夕方、伐採の仕事を終えた7人の労働者―監督のマイケル・ロジャーズ(当時28歳)、トラヴィス・ウォルトン(22歳)、ケン・ピーターソン(25歳)、アレン・ダリス(21歳)、ジョン・グーレット(21歳)、デュエイン・スミス(19歳)、スティーブ・ピアス(17歳)―は、小型トラックに乗って帰る途中だった。
ロジャーズの運転する車が山道を登っていると、アレン・ダリスが右手の木々の間に何か光り輝くものを見つけた。そのまま光の方向に車を走らせ小さな空き地にさしかかると、そこに積み上げられた丸太の4~5m上空にUFOと思われる物体が浮かんでいた。
それは、直径4~5mほどの大きさで、パイ皿を2つ合わせたような形状をしており、黄白色のぼんやりとした光を発して周囲を照らしていたという。物体からは、ビービーという音が鳴り、その音は高くなったり低くなったりしていた。
トラヴィスは逸早くトラックから飛び降り、その物体に近づいていった。
すると、その物体はグラグラと揺れ動き始めた。危険を感じた仲間たちは「トラヴィス戻れ!」と叫んだという。トラヴィスもとっさに丸太の脇に身を隠そうとしたが、その瞬間、物体から青緑色の光線が放射され、彼を直撃した。トラヴィスは宙に浮いたかと思うと、そのまま強く地面に叩きつけられた。
恐ろしい光景を目の当たりにした仲間たちは、あわててトラックを走らせ、400mほどやみくもに走り、何も追ってこないことがわかると、トラヴィスを置き去りにしてしまったことに気がついた。
急いで引き返してみると、空き地にはUFOもトラヴィスの姿もすでになくなっていた。その後6人は、30分ほど辺りを捜索したが、トラヴィスを発見することはできなかったという。

6人は20kmほど北にあるヒーバーという町まで行き、そこの保安官に事件を報告した。
翌日、保安官をはじめ50人近い男たちが現場の周辺3km四方を捜索したが、トラヴィスは見つからなかった。現場の付近にUFOが着陸した痕跡や遺留物はなく、放射能の異常も認められなかったという。
さらに2日後にはヘリコプターを加え、一帯が徹底的に捜索された。しかし何の手掛かりさえ掴めなかったという。

この事件はいちはやく全米で報道され、町では、トラヴィスと彼の兄が以前からUFOのファンだったことや、トラヴィスとダリスが不仲だったことが噂になっていた。
地元の警察は当初から6人の目撃証言に懐疑的であり、トラヴィスは彼らに殺されたのではないかと考えていた。
そこで、事件から5日後の11月10日、アリゾナ州公安局の専門家によって、6人の仲間たちのポリグラフ(嘘発見器)検査が行われた。その結果は、5人が「シロ」、残るアレン・ダリスだけは極度の動揺により判定が不可能だった。但し、ポリグラフの質問内容はトラヴィス殺害容疑に関するものがほとんどで、UFOに関するものは1つだけだったという。
このとき町の警察署長は、今回の事件は金儲けのための芝居に過ぎない、とコメントを発表したという。

ところが、その日の深夜、日付が10日から11日にかわった頃、トラヴィスの妹夫婦のグラント・ネフ家にトラヴィスから電話がかかってきた。彼は息も絶え絶えの様子で、今ヒーバーの電話ボックスにいる、と語ったという。連絡を受け兄たちが駆けつけると、トラヴィスは電話ボックスの中でぐったりと倒れていた。
朦朧としていたトラヴィスは、徐々に意識を取り戻し、以下のような体験を語ったという。

【トラヴィスの証言】
青緑色の光に撃たれたとき、電気に打たれたようなショックをあごに受けて、僕は気を失ってしまった。
意識が戻ったとき、どこかの部屋のテーブルの上に仰向けに寝かされていた。頭がひどく痛み、最初は病院にいるのかと思った。
見ると、周りに3人の人物が立っていた。彼らは身長150cmほどで頭には髪がなく、目が異様に大きかったが、口や耳は小さく、鼻はつぶれたような形をしていた。眉毛やまつげはなく、みんな褐色のオーバーオールのようなものを着ていた。
僕はパニック状態になってしまったが、彼らは何事もなかったように部屋を出ていった。僕も部屋を出て通路を少しばかり歩くと、丸い部屋に行き着いた。部屋の真ん中には金属製の椅子があったので座ってみた。その椅子は、背もたれが高く、一本足で、片方の肘掛にはいくつものボタンがあり、もう片方にはレバーが付いていた。それをいじっているうちに部屋が暗くなり、あたりに星が見え、さらにそれが動き始めた。
気配を感じて振り向くと、さっきとは別の男が立っていた。身長180cmほどで、ぴったりとしたオーバーオールを着ており、透明なヘルメットをかぶっていた。この男は、先の3人よりはるかに人間に近い容貌をしていた。
その男は僕の腕をとって広い格納庫のようなところへ連れて行ったが、そこには円盤のような物体がいくつか置かれていた。円盤に触ってみると、表面はつるつるしていた。
その後、もう1つ別な部屋に連れて行かれたが、そこには新たに3人の人物がいた。彼らも人間とよく似た容貌をしており、男が2人と女が1人だった。彼らは優しいそぶりを見せていたが、突然後ろから酸素マスクのようなものをかぶせられ、僕は気を失ってしまった。
気が付いたときにはハイウェーの路面に倒れていて、体の震えが止まらなかった。

【事件をめぐる論争】
事件のあったアリゾナ州には、APROとGSWという世界的に有名なUFO研究団体がツートン市とフェニックス市にそれぞれ本部を構えている。そのAPROとGSWが、このトラヴィス・ウォルトン事件をめぐって真っ向から対立し、大論争を繰り広げることになる。

トラヴィスの帰還後、彼の兄デュエイン・ウォルトンは、トラヴィス失踪時に知り合ったGSWの代表ウィリアム・スポルディングに、衰弱したトラヴィスを診察してくれる専門医を紹介してくれるよう依頼した。
トラヴィスは5日のうちに5kgも痩せ、ひどい頭痛と嘔吐を催していた。当然、内科医による診察と精密検査を行うべきところだが、そこで紹介されたのは催眠治療家のスチュアード博士だった。治療よりも事件の解明を優先させるかのようなこの対応に不信感を抱き、治療が始まる前にデュエインはトラヴィスを連れ帰ってしまった。
結局デュエインは、APROから会員の中にいた専門医を紹介してもらい、トラヴィスに精密検査を受けさせることができた。APROは当初からこの事件に肯定的な見方をしており、その後、会員自らトラヴィスに事情聴取し、詳細な体験談を公表している。
その一方で、トラヴィスを短時間ながらも診ることができたスチュアード博士は、麻薬(特にLSD)による幻覚症状という診断を下している。トラヴィスには麻薬の前歴があり、このとき彼の腕には注射痕があったという。
これにより、スチュアード博士を心理学顧問に置くGSWは事件に否定的な立場を取ることになるのである。

トラヴィスの証言に対して最も否定的だったのは、UFO否定論者のフィリップ・クラスである。
彼が航空宇宙専門誌『エヴィエーション・ウィーク』に発表した調査論文には、以下のような点が指摘されている。
・ トラヴィス失踪中、彼の妻や兄がそれほど心配していなかった。
・ 6人の仲間に行われたポリグラフ検査は、トラヴィス殺害に関するものがほとんどでUFOに関するものは1つしかなかった。
・ トラヴィス帰還後4日目に、APROは地元紙とともにポリグラフ検査を実施しているが、その結果は「クロ」と出たにも関わらず、両者が示し合わせて結果を握りつぶしている。
・ さらに3ヵ月後の2月7日に、APROはイーゼル・ポリグラフ研究所で再度検査を行っているが、結果は「シロ」だったものの、その質問事項はトラヴィス側が用意したものだった。
・ トラヴィスには麻薬の前歴があり、スチュアード博士が帰還後の彼の腕に注射痕を認めている。
・ 監督のマイケル・ロジャーズは請負った伐採作業が遅延した場合、罰金を払う契約をしていた。罰金逃れの遅延の口実としてUFO遭遇事件をでっちあげた可能性がある。半月前の10月20日に、ヒル夫妻誘拐事件をもとにした番組が放送されており、それにヒントを得たのではないか。

上記のフィリップ・クラスの指摘に対して、APROとトラヴィス側は以下のように反論している。
・ トラヴィス帰還後4日目に行われたポリグラフ検査は、彼が極度に興奮していたために正確な判断が下せず、公表しなかった。
・ その3ヶ月後に行った検査は通常通りの方法を用いており、問題はない。
・ 伐採作業は順調に進んでおり、契約に関しても何のトラブルもない。

尚、アメリカのUFO研究の権威であるアレン・ハイネック博士は、事件の翌年にAPROの仲介でトラヴィスと会見し、彼に好意的な見解を示している。博士は3月23日付けのフェニックス・ガゼット紙で「トラヴィスは嘘を言っているようには思えない。もっと詳しい調査を続行すべきだ」と自身の意見を公表している。それまでGSWと関係が深かったハイネック博士が、GSWの見解を否定する形になってしまったため、両者はさらに論争を激化させたようである。
最後には、フィリップ・クラスがUFOの存在を証明した者に1万ドル出すと公言していることから、クラスは金が惜しくて否定論を述べている、との個人攻撃まで出てきたという。

因みに、ウォルトン一家は以前からUFOマニアであり、それまでも10~15回UFOを見たことがあったという。トラヴィス失踪中も、母親のケレット夫人や兄のデュエインらはGSWの調査員に対し、トラヴィスは必ず帰ってくる、自分たちは何度もUFOを見ているし、UFOは友好的だと語ったという。
また、事件現場から南に1~2kmのところは国有林の北西部から南東部にかけて高い崖になっており、この崖の南側はアパッチ・インディアンの居留地となっている。この崖のあたり一帯にはウラニウムの鉱脈があり、周辺の地域ではUFOが度々目撃されているという。

【事件現場へのアクセス】
事件現場は、アリゾナ州のナバホ郡ヒーバー村からでこぼこの林道を南へ20kmほど行ったアパッチ・シトグリーブス国有林の中にある。
日本からの行く場合は、サンフランシスコかロサンゼルスで一度乗換えてフェニックス空港まで行き、そこから車で移動することになる。フェニックス市からヒーバーまでは車で約3時間である。事件現場近くは道が悪く、ジープか小型トラックでないと入れないという。