1965年3月2日、フロリダ州ブルックスヴィルで起った宇宙人遭遇事件。
ブルックスヴィルはカリフォルニア半島中西部に位置し、約50km南には大都市タンパがある。
製鉄所の工員だったジョン・リーブスは定年退職後の1961年に、気候の良いフロリダのブルックスヴィル郊外に家を買った。そばには高速道路50号線が走っている。
事件当時65歳のリーブスが楽しみにしていた日課は、家の周囲に広がる砂丘地帯の散歩だった。3月2日昼過ぎ、いつものように散歩に出かけ、家から800mほど離れた砂丘に見慣れないものがあるのに気づいた。それは円盤のような形で、地面に四本の脚で立っている。色はシルバーグレイ、幅が約12m、厚さが約2.5m、上部はドーム型に盛り上がり三つの窓があった。
このあとリーブスは宇宙人と遭遇するが、報道で伝えられてきた状況と彼が隣人に語った内容は大きく異なる。
報道では、リーブスが恐る恐る近づくと、円盤の横に人影があった。全体が光り輝くように明るく、ロボットのようだ。それは振り向いてリーブスに近づいてきた。そして、手にしていたカメラのような小さな四角い装置を構えて、スイッチを押すと眩い光を発した。リーブスは走って逃げたがつまずいて倒れた拍子にメガネを落とした。生物はメガネを拾いリーブスに渡すと、二枚の紙を落として円盤の下面にある傾斜路から内部に入った。ほどなく、円盤は半時計回りに回転を始め速度を上げて飛び去った。リーブスが紙を拾い上げるとそこには見たこともない文字が書かれていた。
2013年1月、アメリカのあるUFOブログに71歳のジェリーという老人の談話が紹介されている。1965年当時のジェリーは20代で、リーブスの隣に住み両親とともに彼が宇宙人と遭遇した話を最初に聞いたという。
それによるとリーブスが倒れたあと、背後の茂みから宇宙人が現れた。身長は150cmで身体にぴったりしたつなぎの服を着て、頭部はガラスのようなヘルメットを被っていた。金属のようなブーツを履き手袋をしている。宇宙人はカメラのような装置を構えてフラッシュのような光が瞬いた。そしてリーブスに近付きながら、危害を加えないと示すかのように両手を広げた。その顔は人間に似ていたが目が斜めでスリットのような口をしていた。
リーブスが恐怖をこらえて立ち上がると、宇宙人は彼の肩を3回叩いて円盤を指差した。誘われるままにリーブスは宇宙人と傾斜路から円盤に入ると、内部にはテーブルや装置、計器盤があった。その後、宇宙人はリーブスを円盤から少し離れた場所に導いて、砂地に記号を書き始めた。それは、この場所に再び来るという意味を伝えるものだった。そして東と西の空を指差し、砂に29本の線を描いた。リーブスは宇宙人が29日後に戻ってくると理解した。
円盤が飛び立ったあと、地面に二枚の紙が残されていた。それは紙に似ているが未知の材質で見たこともない文字が書いてあった。
地面には宇宙人の足跡と宇宙船の脚の穴が残されていた。これらの痕跡はその後の雨で消えてしまうが、足跡を前にしたリーブスの写真が残されている。
リーブスは地元の記者でカメラマンの友人とこの紙を調べた。ためしに火をつけたが燃えない。ラジオに出演しリーブスの宇宙人遭遇は新聞のニュースになった。
まもなくアメリカ空軍から連絡があり、紙は没収された。数週間後返却された時、それは元の紙とは別物で文字もなかった。
目撃現場は空軍によって封鎖され、将校がいろいろな装置を持ちこんで調査を行った。封鎖区域は地元警察も立ち入りを禁止された。保安官は記者の取材にリーブスを信頼に足る人物と答えたが、その後空軍はこの事件を作り話と結論付けた。
29日後、円盤は戻ってきたが、タンパ郊外のマクデイル空軍基地から戦闘機が発進したため着陸できなかった。
そして1968年8月6日、リーブスは何か突き動かされるかのようにしてあの砂丘へ行くと、前に見たのと同じ円盤が着陸していた。リーブスは複数の宇宙人と再会し、英語やその他の言語で会話した。宇宙人によると円盤は鉄よりも固い金属で出来ているが、アルミよりも軽い。彼らはどこか東洋人に似た容貌をしており、身体は細身で肌は滑らか。30代に見えたが実際はもっと年上だったらしい。
宇宙人が月への旅に誘ったのでリーブスは即座に同意した。円盤は6時間余りで月の裏側に着陸。そこは透明なドームで覆われた基地だった。
1968年当時、CBSニュースの科学顧問だった作家のリチャード・ホーグランドは、アポロ計画でNASAが撮影した月の写真にドームの様な宇宙人の基地があると指摘している。
リーブスは自分が月に来た証拠を持ち帰る必要があると考え、暗く灰色の砂を薬ビンに詰め、ソフトボール大の結晶を持ち帰った。地球に戻ってから、科学者に地球は丸よりも卵の形に近かったと語った。そして持ち帰った砂と石を科学者には決して見せなかった。かつて紙を空軍に持ち去られた経験あるからだ。
1969年7月20日、アポロ11号が人類初の月着陸に成功した。月面に降り立ったニール・アームストロング船長は、月は細かい砂と石炭のようなガラス質の大きな粒で一面が覆われていると言い、帰還後に地球は卵のような形をしていたと証言している。
リーブスは月の土産をいつも手元に置いて厳重に保管し、のちに見ることを許されたUFO研究家にもサンプルは与えなかった。
リーブスの隣人ジェリーは、自分も宇宙人に会いたくてしばしば砂丘を訪れていた。ある日、砂地に続く3組の足跡を見つけた。中央は人間のものでリーブスと思われたが、両脇は風変わりな足跡だった。そこへ母親が来て二人で辺りを探したところ、赤いほうきの柄が地面に突き刺さっていた。それはリーブスがかねてからジェリー一家に話していた、宇宙人と出かけるサインだった。4、5日経ってもリーブスは戻らない。一家が心配していたところリーブスから電話が掛かってきた。彼らが家に行くとリーブスはイスに座って誰も自分を信じてくれないと泣いていた。
そして「モニヘヤ」という宇宙人の母星に行ってきた話を始めた。地球の時間で一日半の間、二人の子供とともにゲストとして滞在したという。
その星には二つの太陽があり、ピンク色の海には恐竜のような生物がいた。雨は青く、実際にリーブスのシャツは青く汚れていた。30の国があり、総人口は150億人以上という。
そして、その星の旗を持ち帰った。オリジナルは貸金庫に保管し、複製を人々に見せた。
リーブスと宇宙人との交流は1971年まで続いた。
1972年9月、最初に円盤が着陸した砂丘は開発業者によって更地にされ、キャンピングカーの駐車場になった。
リーブスは自宅の庭に円盤の実物大模型を作った。それは高速道路からよく見えたので、徐行する車のためしばしば渋滞したという。ブルックスヴィルはUFO目撃のメッカとして有名になった。その後、不思議な光が住民に目撃される出来事が21世紀に入っても続いている。
リーブスを知る人々は宇宙人と遭遇後、彼は以前より若返って見えたと証言している。事件当時60代半ばだったリーブスは104歳まで生きた。
アメリカ空軍は1952年から69年までUFO研究調査「プロジェクト・ブルー・ブック」を行った。12618件の目撃情報を調査し、そのうち正体不明とされたのは701件。それ以外は別の物を見間違えたか心理的な要因とされた。そして全体の8パーセントが作り話を含む雑多な要因となっている。プロジェクトの公式見解では、このカテゴリーにリーブス事件は含まれる。
また1950年代から80年代にかけてUFOを調査した民間組織「航空大気現象調査委員会(NICAP)は、プロジェクト・ブルー・ブック・ファイルを元に、この事件を暫定的に作り話としたが、今後新たな証拠が見つかるならデータファイルを更新する用意があると公言している。