より怖い話を目指して

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修行者様、③の例目茶苦茶怖いですねwそれだけで充分お話作れますよw

千月様、あけましておめでとうございます。
というわけで、今年もお邪魔いたします。

さて、「笑いと恐怖が似た形であるのか」、もう少し見ていきたいと思います。
桂枝雀さんの「緊張の緩和」理論は、それだけで本ができるぐらいの分量の話になりますので、興味ある方はググっていただくとして、当方は適当につまみ食いしていきます。

枝雀さんは笑いを4つに分類しました。
①知的な笑い『変』
②情的な笑い『他人のちょっとした困り』
③生理的な笑い『緊張の緩和』
④社会的・道徳的な笑い『他人の忌み嫌うこと』
です。具体的に見ていきます。

①知的な笑い『変』
・普通であることから少しズレる。また、完全に合う(この世に完全なものなど無いはずなのに、合ってしまう事への違和感)ことによる笑い。
(なんか変だぞ?)と思わせること、漫才師のいわゆるボケ全般。
例:初期のダウンタウンの漫才。
浜田「さあ、今日は漫才という事でね、どんなネタをやろうかと思っているんですが」
松本「ネタ?ないよ。そんなもん」

②情的な笑い『他人のちょっとした困り』
・困る、という事が緊張になる。
例:堅物の生徒指導教師とか体育教師が、バナナの皮ですってんころりんの例の奴。

③生理的な笑い『緊張の緩和』
・緊張状態が普通に戻ったとき。
例:いないいないバア。これも顔を見ると安心できる母親とかだから成立する話で、知らないおっさんがいないいないバアしても赤ちゃん泣きっぱなし(体験済み)

④社会的・道徳的な笑い『他人の忌み嫌うこと』
・いってはいけないことをいって、相手がそれを許すことによって起きる笑い
例:「赤信号、みんなで渡れば怖くない」

いずれも「緊張」→「緩和」の落差が笑いである、と考えられているようです。
さて、上の4つを恐怖に置き換えるとどうなるでしょうか?
①知的な笑い『変』 
例として取り上げたダウンタウンネタでは、そもそもこれは漫才という前提があるので、ここでどんな非日常的な会話がされても、それはボケであるという「大緩和」があります。
逆に、ここがどんな怪異が起きるかわからない「大緊張」状態であるときに非日常的なことが起きると「恐怖」になります。

例えば、廃墟のマンションを深夜に探検していると、窓の外に、人が落下していくのがちらりと見えた。
「気のせいか」と思った瞬間、ドサっという音が外から聞こえた、
という感じですね。
この場合、廃墟のマンションの深夜、というのが「大緊張」(なにが起きても不思議はない)、窓から人が落ちた、というのが「緊張」となります。

ここで注意なのは、「大緊張」のなかで「緩和」を入れると、それはそれで笑いになることです。
先ほどの例ですと、
廃墟のマンションを深夜に探検していると、窓の外に、人が落下していくのがちらりと見えた。
「気のせいか」と思った瞬間、ドサっという音が外から聞こえた。
一瞬ドキっとしたところに、先に上の階を探検していた先輩の声で、「悪イ!窓際にあった服を落としちまった!」と聞こえてきた。
「も~なにやってんですか!」プンプン!
という感じです。

ただ、そこで一旦緩和させてからの緊張、という展開はあります。

(・・・服が落ちたって、服ってあんなドサ!なんて音するか?)
窓から外を懐中電灯で照らしてみる主人公。外に落ちていたシャツから、ありえない形に曲がった白い腕が照らされて見える。
と、頭部にあたる部分がグルリと回転して、眼球が飛び出した顔がこちらを向いた。
次の瞬間、そのシャツは、白い腕をまるで蟲のように動かして、マンションの入り口へと入っていった。
やがて階下から聞こえてくる、ズリズリと何かを引きずるようにしてこちらに向かって登ってくる音・・・

とまあ、こんな感じでしょうか?
ハリウッドのホラーでよくあるパターンですね。

というわけで、「緩和」からの「緊張」は恐怖になりえます。

②情的な笑い『他人のちょっとした困り』 
→ 自分のちょっとした困り、です。
先ほどの例の生徒指導教師とか体育教師が自分だったら、と考えてみてください。
鬼と言われようが堅物と言われようが生徒たちに一定の規律を守らせないといけない、さもないと次の業務査定会議で下手したら降格、もしくは左遷、最悪は教師を続けられないくなるかもしれない・・・・・・という状況でやっちまっていたとしたら、恐怖ですよね。

③生理的な笑い『緊張の緩和』
くどいようですが、いないいないバア。
お母さんがいないいない・・・とやって、「バア」と手を開いたとき、母親と全く違う中年女性がニタリ、と笑っていたらどうでしょう?

④社会的・道徳的な笑い『他人の忌み嫌うこと』
「自分の忌み嫌う事」ですね。絶対に他人が知らないはずの自分のタブーに他人が入ってくることへの恐怖、絶望です。
また、許してもらえると思っていた相手が、手をブルブル震わせて、顔を耳まで真っ赤に染めながら憤怒の形相で睨みつけて来たら・・・怖いですね。

さて、ざっとこんな感じですか。
書いていて気付いたのですが、なにも

「緩和」からの「緊張」

でなくても、

「緊張」からの「より緊張」

でも恐怖は成立しそうですね。

言えるのは、上記
①知的な笑い『変』
②情的な笑い『他人のちょっとした困り』
③生理的な笑い『緊張の緩和』
④社会的・道徳的な笑い『他人の忌み嫌うこと』

は、恐怖を考えるときにも使えそうだ、ということです。

まだ話は続きますが、いいかげん長いのでこの辺で・・・

どうもこんばんは。修行者です。
最近本アカがうまく接続できないのでサブアカにて失礼いたします。

今回は「より怖い話」を、構造的に考えていきたいと思っています。
なかなか「怖い話をうまく書くには」というハウツー本は見当たらないのですが(評論は東雅夫さんとかいるのですが)、それならばと自分たちでセオリーを積み上げていきたいと思います。

さて、実は自分は「笑い」と「恐怖」は、構造的にとても似ている部分があるのではないかと思っています。

落語家の桂枝雀さんは、一番原始的な笑い、根本的な笑いは赤ちゃんの「いないいないバア」だと喝破されました。
つまり、いつもいるはずのお母さんが「いないいない」と姿を隠す、赤ちゃんは不安になる。
そこで「バア」とお母さん登場でホッとして笑顔になる。これが笑いの大元であると。

そこから発展させて、枝雀さんは「緊張の緩和」という理論を打ち立てました。

私は、構造的には恐怖は、この「緊張の緩和」をミラーのように対称にした形、つまり「緩和の緊張」が大本だと思うんですよね~。

例えば、先ほどの例でいうと、いつもあやしてくれていたお母さんが突然いなくなってしまう。「緩和からの緊張」、これが恐怖の大元ではないか、という事です。

ボケという非日常からツッコミという日常に戻すことで成立する笑い。
これを逆転させて、日常の中に非日常が侵食するのが恐怖であると、まあそんなことを考えているわけです。

この仮説に基づいて考えていくと、大きな利点があるんです。
というのは、この世に怪談のハウツー本はまだあまり見当たらないのですが、笑いに関しては、多くの巨匠たちが様々な論を展開しているのです。
これをそのまま逆転させる形で導入できれば、割と簡単に「より怖い話」を作る理論が出来るのではないかという(笑)、そんなことを考えているんですよね~。

では、次回以降、具体的に見ていきたいと思います。

皆さん、長いことほったらかしにしてすみません。
リアルの方が忙しく、なかなか怪談の投稿もできずにいます。しかし、怖話をやめることはありませんのでどうぞこの掲示板もお暇な時に使ってやってください。

ふたば様、ありがとうございます。
皆さま、お詳しいのですね(笑)。大変勉強になります。

なるほど、人間界から、頑張った人間には二つの道があるのですね。

①天界に転生してラリパッパ
②極楽浄土に転生して、光を与える側になる。

ということですね。
①は昔のヒッピームーブメントを感じますね。当時の芸術家や表現者はみんなキメていましたね。
②は菩薩様の世界でしょうか?迷える衆生を救うまで、自分は輪廻から解脱することは控えようという、魂のランクとしては上っぽいですね。

ではこれをミラーにして悪霊とは、というふうに当てはめると

①’クスリの禁断症状状態
②’ひたすら相手から奪う

一言でいうとこうなりますか。
なるほど、悪霊、怨霊の行動の動機として、相手から光(希望)を奪うことを目標としていると考えれば、怪異にも説得力が増しますね、

「理性を失うほど光に飢えていて、それを相手から奪うことを全ての目標にする」

というイメージですね。
これを出発点にすれば、怨霊、悪霊の描写にもいろいろ応用が利きますね。

いやあ、新しい発見が出来ました。
ありがとうございます

さて、世で頑張ればいい世界にランクアップ出来るのか?という問いですが、これは仏教では正にその通りといった感じです。

生を全うしたら、どの世界からでも、別の世界へと転生されます。先に記述した通り、その世での行いによって六道界の上にも下にも行きます。

そして四苦八苦の無い世界、極楽浄土へも頑張れば行けれます。
しかし、これには条件もあります。

人間界からしかお浄土には行けれません。

苦しみの世界の事を六道界という事は、既に書きました。しかし、勿論苦しみ以外の世界もあります。
仏教では世界は全部で10あるとしています。十界という奴です。六道界はその内の苦しみの世界です。

そして、その十界の一番上が仏の世界です。
仏教では、死後、極楽浄土である仏の世界に生まれる、つまり仏となる事を目的としています。

では、仏とは何かと言うと、光です。
ちょっと抽象的な表現ですが、仏になるという事は光になるという事です。
つまり、周りを照らす、明るくする存在と云う事です。詳しく事は書けませんm(_ _)m

周りを明るくする様な存在となると云うのは、簡単に言って他を思いやるという事です。誠の安心を得る事与える事です。

しかし、この行動、六道界をぐるぐるやっている間、人間界にいる時くらいにしか出来ません。地獄や餓飢では周りを思いやれる奴はそもそも送られないですし、天は悪く言って常に麻薬でラリっている世界です。どちらも自己犠牲なんて言葉は存在しない場所です。

仏教は因果応報が基本なので極楽浄土に行けるのが人間界だけなのは、他の世界では善良な事なんて出来ないから、と云うのが理由となります。

よく、人を助ける奴は損をする、正直者は馬鹿を見る、なんて言葉を耳にします。
ですが、四苦八苦が存在せず、他を思いやる人が痛い目に遭わない世界なら、人々は嬉々として互いが互いを思い合うでしょう。
それが、一時的では無くずっとでしたら、これ以上ない理想郷では無いかと私は思います。

私は仏教のことが僅かばかり分かる程度なのですが、長文で失礼させて頂きます。
*一部私の個人的解釈も含まれます。

人は死後、49日間で次に転生される世界が決められるとされています。

転生先を決めて下さるのは勿論閻魔大王様ですが、ほんの一部の方以外は六道界の何処かに送られます。

六道界と云うのは、下から順に
地獄(激しい怒りの世界)、
餓飢(貪欲の世界)、
畜生(おびえの世界)、
修羅(争いの世界)、
人間(今、私達が暮らす世界)、
天(楽しいけど、終わりのある世界)
の事を指し、前世の行いによって、転生する世界が変わります。

中でも、多くの人は地獄・餓鬼・畜生の内どれかへと向かい、人間界以外の世界は何処でも気が遠くなる程寿命が長いので、再び人間界に生まれるのは幾千年も経った後となります。(この時も人間として生まれるとは限らない。)
この六道界を生まれ変わり死に変わりすることを六道輪廻といいます。

ここでよく間違えられるのは、六道界の天界が天国と同一視されることです。
確かに天界は人間界に比べ豊かな世界です。産まれる者は皆美男美女で、食べ物もおいしい場所です。
しかし、寿命があります。
楽しい世界であるからこそ、どの世界よりも生にしがみつきたくなるが、死が必ずやって来る。残酷な場所です。
寿命があると云うことは老いもあり、周りは皆美男美女であるのに自分だけ醜くなっていく、その惨めさは人間界のそれとは比べ物になりません。

温泉や食べ放題は、終わりのある一時の快楽なので天界に近いですね。

青鷺様、お久しぶりです。
コメントありがとうございます。
そうですね。不幸でも人生投げずに生き抜いた人には何かご褒美が欲しい所です。

ただ、そのご褒美が極楽での転生だとして、実際極楽とはどういうところなのでしょう?
花園、温泉、というイメージなら、割と奮発すれば近い将来実現できそうですね。
某有名宗教では、勇敢に聖戦を戦い抜いた戦士は、超かわいいおねーちゃんに囲まれてやりたい放題できる、という報酬が待っているそうです。
また、キリスト教では、善いキリスト教徒はキリストに会える!というのが報酬という話でしたね。

どうも枯れオヤジの私には理解が難しいんですよね。お金さえあればこの世で極楽はある程度実現できそうな気がします。果たして極楽転生に人生をかける価値があるのでしょうか?

中2な話題のようですが、不幸を嘆いて恨んで死者となったものが、いわゆる悪霊、怨霊になるとしたら、その対極にある、どんな不幸やハンディも克服して、「人生の宿題」を無事クリアできた人々の魂はどうなるのでしょう?

ここを捕らえると、スタンダードな悪霊、心霊系の話も立体的に描けると思うのですが・・・。

ご意見ありましたらお願いいたします。

引っ越し後、ネット環境を整えるのに思ったより時間がかかり、やっと復活しました。
地獄の本などを見たりしますと、いろいろ墜ちる地獄、責め苦の種類はありますが、イケてる人生だと天国天国、花園、楽園みたいな温泉気分に浸れそうですよ。この世でイケてた人には退屈かもと心配になります。地獄から救われた人が幸せと感じられそうな気もします。現世、不幸でも頑張ったらご褒美に天国ね、というシステムが自然な感じもしますね。

お久しぶりです。千月様。
リアルが完全にブラック状態で、瀕死体験をしておりました。

日本人の死生観から、死後の世界について整理することで、死者の怪異についてより深みを出せないかと思ったのですが、どうも話題がぼやけてしまいました(笑)

さてさて、日本では、人間が死んだ後、49日間この世をさまよった挙句、来世に生まれ変わり、輪廻転生を繰り返す、というのが基本かと思うのですが、いかがでしょう?

その際、来世での処遇を決めるのは閻魔大王、という事になるのでしょうかね?
この時、自分の生前の処遇がヤバかったら、輪廻の前に地獄行き、というところまではいいのですが、さて、ここからですが、生前イケてる人生だったらどうなるのでしょう?

スムーズに人間に生まれ変われる?もしくは天界で天女になったりといったランクアップした来世が待っているのでしょうか?

ご存知でしたらご教示をお願いいたします。

リアルの方が色々と忙しく、しばらくここを空けておりました。
修行者様
ラグナロクのくだりでは、オーディンがフェンリルに飲み込まれるという記述がありましたね。
私の知る限り、「食い殺される」ではなく、「飲み込まれる」なんですよね。
暗い消化器系の中を生きたまま落ちていく、それはそれで嫌ですね。

黄泉の国の件ですが、神道はよく知りません。お役に立てず申し訳ありません。
ただ、スサノオが黄泉の国に執着していたのは確かだったと思います。父親の鼻から生まれ、母の顔を知らずに育った彼は、亡くなっている母の所へ行こうとしますから。
また、スサノオが黄泉の国を治めていると書かれた作品を何かで読んだ覚えがあります。そういった記述も古事記か何かに書かれているのかもしれません。

千月様、課題クリア、お疲れ様です。
コメントありがとうございます。

ヘルヘイム・・・日本でいう黄泉の国、という奴ですね。
ヴァルハラの話は聞いたことがあります。戦死者の魂がヴァルキリー(ヴァルハラねーちゃんという意味らしいですね)に連れていかれる、という話ですね。
「古エッダ」だと、結局フェンリルに主神オーディンが飲み込まれてチャンチャン♪という話でしたでしょうか?
勇敢に闘った死者は極楽のようなところに行ける、という思想はヴァイキングしかり、太平天国しかり、ジハードしかりですね。
日本では、旧帝国軍人の「戦死すれば靖国で仲間たちと英霊として祭られる」という思想はなんかよくわからない無宗教施設にとって変わられるそうですね。
う~ん、死にがい無いわあ(笑)

仏教では、「生きているのは苦しいのが仕様」という根本思想がありますね。
で、「死んでも苦しいんかい!」というのが怪談のもつ恐怖の原因の一つだと思われます。

さて、神道では先ほど出た「黄泉の国(根の国とも言いましたっけ?)」・・・
スサノオが治めているんでしたでしょうか?
そこにいったら、どうなるんでしょう(笑)?

ご存知の方がいらっしゃったら、よろしくお願いいたします。

修行者様
課題の山をなんとか片付け、都会より一足早く新学期を迎えております、千月です。

北欧神話から死後の世界を見ますと、死者はヘルヘイムという所に行くそうですね。
天国のような楽園なのか、それとも地獄なのか、その点はよくわかりませんが、あのロキの娘「ヘラ」が治める国ですから少なくとも穏やかな所ではないのでしょう。
また、勇敢な戦死者達はヴァルハラという宮殿に集められ、ラグナロクに備えて鍛練を積むそうですね。
ヴァイキングの間では、死後ヴァルハラに迎えられることが戦士として最高の名誉とされていました。
天国然り極楽浄土然り、死に対してプラスのイメージを持つ宗教は人を引きつけるのでしょうか。

はと様。

夏休みの母親業、ご苦労様でございます。我が家の妻も過労死寸前でございます。
ムチャ振りばかりして申し訳ありませんでした。
ただ本とかを齧っただけでなく、実際にキリスト教に身を置きながら、そこまでガチじゃない(失礼!)意見がとてもありがたいです。

そうですか!
千年王国=キリスト教徒はハッピーエンド
というわけではないのですね。

ははあ、これが某関さんがいってた選ばれしもののなんちゃらですか。
宙に浮く=火星に移住するっていってる人もいましたっけ?

でも一言でいうと、プロテスタントの目的は創物主(神)に会う事なのですね。
我らが仏教では、56億7000万年後に弥勒菩薩に救済してもらうという気の遠い話。
ほかは、アポカリプスといい、ラグナロクといい、黙示録といい、「終末戦争」が多いですね。

あと、神道は終末論は無し、というか、そもそも「神道」という物自体が仏教が流入してきたときに対応するために作られた概念で、体系化した「新約聖書」や「古エッダ」とかとは別物なんですよね。

今のところ、日本人の死生観は「死ねば皆仏」と、「輪廻転生」の二つのような気がしますが、実際のところどうなんでしょう?

人が死んだらどうなるか、という問いにもちろん答えはないのですが、「より怖い話」を考えるために、死生観を考えるのも一興かと思いますが、ご意見がある方はいらっしゃいますか?

千月さま

グリーンマン、知らなかったです。森と大地の神様なんですね~
キリスト教が広まる?前は日本でもそうだと思うんですが自然や土地や森とか人間の力がおよばないものに畏れや畏敬の念?を感じる神様が多いですね。

機会があったらグリーンマンの歴史などもみてみます!

修行者さま

こんばんわ。遅くなりました!
夏休み最後の家族サービスでアクセス中々出来ませんでしたf(^^;

キリスト教、と言うか宗教を私のようなものが語ってよいのかなー…((((;゜Д゜))) という恐れの様なものもありますし(笑) 20年近く前に習っただけで、全然極めているわけでもないので。それが前提でよければ。。

プロテスタントの終末論?はおっしゃる通り千年王国がメインだと思います。
ただ、→私見なので正解ではないですよ。。ハッピーエンドと言えるかどうかは疑問です。
基本的にはイエス・キリストが復活して、その後千年をイエスが治める?とか言う内容だった気がするんてすが。たしかその前か後に受難の時?みたいなのがあったと思います。平たく言えばキリスト教徒だけが復活したイエスに導かれ、空に浮く?(笑)かなんかあり、そこで主なる神に会えるとかですよね。
ってことは逆を言えばキリスト教徒以外は救われることもなく、受難の時を経験し、キリスト教徒でも空に浮くって。。主に会えるって。。第一イエスもすでに霊だけの存在と考えたら。。う~ん。。
あくまでも、私見ですよ。でも言いたくないけど全滅じゃないですかね。。と私は思ってしまいました。

何かしらがあって、この世界が終末を迎えるときに、キリスト教徒であれば魂をイエスが迎えに来てくれて、そこで地球が次のサイクル?を迎えるまでに魂レベルでの幸せな王国が築けますよーって話かな。と。もちろん違うかもしれないし、私なんて本当宗教を語れるような人間ではないので、本当罰当たり?と言うか、真面目にキリスト教を学んでるかたに申し訳なさ過ぎますが…( ノД`)…

こんな薄っぺらな回答でご免なさい。。しかも、求めてた答えと全然違ってたら更に更に申し訳ないですー

はと様、ありがとうございます。

我が家は上は思春期から中は反抗期、下はイヤイヤ期と各種取り揃えております(笑)
・・・一人か二人がいいです。マジです。

「ホーリーゴースト」=「ホーリー」+「ゴースト」=「聖なる」+「霊」=「聖霊」
本当だ(笑)
ゴーストというともう速攻で幽霊のイメージだったのですが、「聖」属性が付くと一気にランクアップですね。(よくみると「精霊」と「聖霊」は違うのですね)
聖霊って平たく言うと天使の事ですよね(違いますか?)?
三位一体って、神(創物主)とキリストと聖霊、三つ合わせて一つ、という意味でしたっけ?
で、聖霊のボスみたいなのがミカエル、という理解では強引でしょうか?

キリスト教の伝播と共に、土着の神々が堕天使や悪魔とされた、という話は聞いたことがあります。コボルトやゴブリンもケルト神話に起源をもつとか、有名な悪魔「アスタロト」とかも、もともとは地中海かどこかの豊穣の女神だったらしいですね。
堕天使のボスがルシファーで、堕天使を率いて天界との一大戦争を起こした、とのことでしたよね。で、結局ルシファーを倒したのはミカエル・・・、なんか世界最大の兄弟げんかのような気もしないでもないですね(罰当たり)。

さて、まだ絡んでいいですか(笑)?
じつはキリスト教における終末論がいまいち理解できなくて。
オカルト的には終末といえば黙示録世界で「最後の審判」が起き、天使がラッパをふいてえらいことになって世界終了だと思うのですが、たしかルターはアンチ黙示録だったかと思います。
プロテスタント的には世界の終末はどうなるのでしょう?
キリストが復活して千年王国を築き、めでたし、めでたし、ということでよかったのでしょうか?
よろしければご教示いただければ幸いです。

千月様
「怪談降臨」いいですね。異界が生活に息づいている地方ならではの怪談や投稿が聞けて、非常に趣深いです。
学校で「ユタ」について予算が下りる(要は税金が使われているという事)というのは驚きでした。本州でやったらどれほどマスコミに袋叩きにあうか・・・。
「やっぱり沖縄は違うなー」という感想より、「利権」のにおいを感じてしまうのは私の心が汚れているから(笑)
「闇芝居」も良いですね。「紙芝居」とかけていたのですね。
シンプルで低予算な雰囲気ながら、作り手の熱を感じる作風がいい感じです。一作五分程度というのも最近の極悪なスケジュールの当方としては助かります(笑)
TSUTAYAで借りれたらいいのですが・・・。ないんですよね。
怪しいサイトの力を借りなくても、ちゃんと払うもの払うのに・・・。

グリーンマン、という神様がいたのですね。「トレント」みたいなイメージでしょうか?
中世のヨーロッパでいう森は、狼や魔女の蔓延る魔の世界だったと聞いたことがあります(おとぎ話の悪役が出る舞台は森の中が多いですね)
時代と共に人の価値観が変わっていったのでしょうね。

はと様
三位一体、一神教であるキリスト教ならではの面白い考え方ですね。
確か、キリスト教が伝わる前のヨーロッパにはグリーンマンという森の守り神がいて、一神教であるキリスト教の布教によって妖精という位置付けになったとか。
それも異国の神を変化させた一例でしょうね。

あと、おっしゃる通り、プロテスタントは元々華美になりすぎ堕落した教会とは別れを告げよう…みたいな思想から生まれた宗派だったはずなので、プロテスタントの教会は、所謂、映画でよく見たりイメージする美しく装飾を施した教会とは全然違います。
教会の日曜学校にも、行かなきゃいけなかったので、一定期間通ったんですが本当に木製の十字架のみのシンプルな装飾でしたよ。

キリスト教と一括りに言っても本当に色んな宗派も有るので、どれが正解とは言い難いものですね。。

イエスは精神科医の役目!いやー、面白いですね!
確かに彼の説法はある種、人々を癒す力を持っていたようですし、宗教事態が救いを求める人々の行き着く場所と考えたら役割はそれに近かったのかも。

ちなみに、悪魔さんについて、キリスト教を布教するに当たって、異国の神を悪魔と称したことも有るようです。