宮城県仙台市青葉区作並

旧関山トンネル

旧トンネル完成直前の1884年7月に爆発事故が発生し22名が亡くなっている。それ以来、旧トンネルは幽霊トンネルとして有名。現在は封鎖されている。

旧関山トンネルは、宮城県仙台市と山形県東根市を通るトンネルである。

旧関山トンネルは1968年に新たにできた関山トンネルの開通により、現在は使用されておらず、廃墟となっている。

しかし、それでも地元民や心霊マニアの間でこのトンネルに関する話題は尽きず、廃墟になった今でも多くの霊現象が目撃されている。

・トンネルの入口付近に親子と思われる幽霊が出没する。

・トンネルの入口付近にロングヘアーの女性の幽霊が出没する。

・ トンネルの入口付近にある電話ボックスに女性の幽霊が出没する。

・旧トンネル中に入ると出口の仙台側に鉄格子から無数の手が見える。

・トンネル内に「女性の霊(子連れ)」が出る。

・トンネル工事に関わった建設会社社員の人が首吊ってなくなってるらしい。

・トンネルを走行中、いきなりライトが消える。再びライトが付くと、道路上に無数の生首が積み上げられている。

・宮城県側のトンネル入り口付近には、人骨の様なものがある。

・白い着物を着た女の幽霊が出る。

・夜中に行くと、近場の山で丑の刻参りの釘を打ってる音が聞こえる。

・旧関山峠の旧関山トンネル付近には『ここは異常現象が発生しますので、立ち入りを禁止します』と記された県のたて看板が存在していた。ある雑誌社がその真意について調査を行ったが、その看板はすでに撤収された後だったという。

また、この付近を走るタクシーの間では、この峠で女性客を乗せてはいけないという決まりがある。かつて、この場所付近で若い女性がタクシーに乗ると、作並温泉の××病院までお願いします』と目的地を告げたので発車した。タクシーは「関山トンネル」を抜け、峠を抜け、作並温泉街に入ると後部座席に居た「はず」の女の姿が消えていたという。そして乗っていた「はず」の座席シートはグッショリと濡れていたという。この話には幾つかのバリエーションがあり、「若い女性と赤ん坊」や、「連れていたのは赤ん坊では無く子供」「女性は老婆だった」などがある。

こうした噂の背景には、実際おきた悲惨な事件がある。

旧関山トンネルの建設には経費削減のため、高価なダイナマイトではなく一般の火薬が用いられた。そのため火薬を運搬する際にも爆発の危険があり、工事現場近くの宮城県宮城郡作並村(現・宮城県仙台市青葉区作並)に設置された大伊勢沢火薬庫までの運搬経路と時間は厳重に決められていた。

ところが1880年の7月21日、火薬がを運搬していた人夫の一団が旧仙台藩の坂下境目御番所跡で一服しいた時に煙草の火が落下。運んでいた全火薬に引火して爆発し、人夫や住人をふくむ死亡23名(うち胎児1名)、重傷8名もの被害者をだす大惨事が発生したのである。

この事故をが起きた事により、大正15年に山形県側に「関山新道開鑿殉難之碑」が作られ、その後、昭和4年には宮城県側に「関山街道開鑿殉難之碑」が建立されている。

また、このトンネル付近はかなり道幅がせまく、トンネルの出口付近はかなり傾斜のきついカーブが連続していたため、冬季には事故が多発する場所として知られていた。

現在、森の中にひっそりと埋もれている。トンネル内は水没しており、入口には柵が設けられているため中にはいれず、そこに行く道も無くなってしまったと言われているが、現在でも山形県側からは国道48号線からのびるハイキングルートを通って向かう事が出来る。トンネルの所在地は新関山トンネルの南側といわれている。