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年を経たガマガエル・ヒキガエルが、神通力を得て、怪を成したりしたという。ガマは蝦蟇、蝦蟇とも表記する。
麻布七不思議として、江戸に伝わる怪談の一つは、蝦蟇池に関する物語だった。
備中成羽藩主の江戸屋敷は、堂々たる大屋敷で、当時、池といえば、この蛾暮池が高名だった。
文政年間、この池の主の大蝦蟇は、座敷の菓子を食べに来るほど、大事にされていた。ある時、大火が起き、火の手が屋敷に延びてきそうになると、大蝦蟇が水を吹き付けて屋敷を守ったという。
バリエーションもあった。ある日、主人が池のほとりを散歩していると、怪しい童姿の者が現れた。斬り付けると、白煙とともに消えた。
かねて、この池の主と伝えられていた1尺余の大蝦蟇が、血を庭石の上に流して、平伏している。
その夜、夢枕に大蝦蟇が現れ、失礼を詫びるとともに、屋敷に火難が起きた時には、神通力をもって必ず守ると告げた。
もう一つ、別の物語では、この池の主の大蝦蟇が夜中に、見回り仲間(ちゅうげん)を池に引きずり込んで殺してしまう。家来を失った主人は、蝦蟇を退治しようとした。しかし、夢に現れた仙人が、あの仲間は、カエルが生まれる度に殺してしまうので、仕方なく仇を取ったのだと告白。聞き入れてくれるなら、火難と厄病除 けのお守りをすると言って、消え失せた。
半信半疑ながら、大蝦蟇退治は中止。後の弘化年間に大火事が起き、一帯も猛火に包まれた。この屋敷にも火が回ろうとした時、大蝦蟇が現れて、池の水を巻き上げ屋敷一面に吹き付けた。付近はすべて焼失したにもかかわらず、この屋敷だけは難をのがれた。
江戸家老に命じて、大蝦蟇の血で上の字を印した護符を発行することになった。護符は、大蝦蟇の霊験だと、評判を呼んだという。
ここに登場する、蝦蟇仙人は、大陸からの伝来と考えられる妖術使いだ。もともとは、三国時代の呉、もしくは、五代十国時代の後梁にいた人物がモデルとされる。
蝦蟇仙人は、日本では多くの絵画に描かれて、人気があった。顔輝「蝦蟇鉄拐図」が先例とされ、鉄拐仙人と対の形で描かれる事が多い。
ただし、両者を一緒に描く典拠は明らかでない。鉄拐は、明代あたりに、代表的な仙人を8人選んだ、いわゆる八仙に入っているほどに知られていたが、蝦蟇仙人は八仙に選ばれるはおろか、ほとんど知られていない。
だから、蝦蟇仙人は、日本だけで独自の人気を得たようなのだ。この蝦蟇仙人は、忍術に結び付き、更にポピュラーな存在に育つ。
忍者として人気があった、自来也(じらいや)は、蝦蟇仙人から学んだ、蝦蟇の妖術を使って活躍する。
感和亭鬼武の読本「自来也説話」では、自来也は義賊で、その正体はさる浪人と設定されている。
また、児雷也と文字表記を替えて、美図垣笑顔の合巻「児雷也豪傑譚」で、秘術を繰り出す一連の忍者の定型を打ち立てる。
この作品では、蝦蟇仙人も、仙素道人に名前を替えている。越後妙高山に棲む仙人は、児雷也に蝦蟇の妖術を伝授する。
大蝦蟇を出現させ、これに乗ったり、自分で大蝦蟇に変身したりといった、不思議な術だった。
児雷也の妻・綱手はナメクジの妖術を使い、その宿敵は、青柳池の大蛇が変身した大蛇丸だった。
ここから、蝦蟇・蛇・ナメクジが、互いの強弱で身動きが取れなくなる「三すくみ」の趣向が生まれている。この三すくみは、歌舞伎や映画でも活用されていく。
この児雷也は、幕末に、河竹黙阿弥「児雷也豪傑譚話」として歌舞伎に翻案され、明治末になると映画に組まれ、忍者映画が昭和にかけて流行を見る。
これとは別に、平良門(よしかど)という伝説上の武将も、語りものの芸である浄瑠璃から有名になった。
近松門左衛門「関八州繋馬(つなぎうま)」に登場する平良門は、平将門の長男という設定で、臣下や一族を集めて、父の復讐を企てた。このアンチ・ヒーローも、蝦蟇仙人から妖術を受け継いだという。