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哺乳動物のムササビやモモンガが、昔は妖怪と考えられ、これを野衾(のぶすま)と呼んだ。
鳥山石燕「今昔画図続百鬼」では、山上に潛む動物のような妖怪が、峠の細道を通る旅人に妖気を吹きかける姿が描かれている。よく見ると、その中からコウモリのような影が生じている。なお、石燕は、この妖怪を「野鉄砲」と名づけた。
「本朝世事談綺」には、野衾が夜に人の持つ松明(たいまつ)の火めがけて飛んできて消した。また、その火を吹く妖怪としても、恐れられたという。
「狂歌百物語」には「飛倉」の名で、野衾が人の顔を覆う姿が描かれ、ここから、空を飛んで来て、人の目や口を覆う妖怪と考えられたようだ。
夜中に飛んできて、人の顔に貼り付いて、呼吸を止めてしまうとも言われ、地方によっては、便所にワラ縄を下げて、これを封じた。
「遠碧軒記」だと、春日大社の辺りに、人に飛び付く怪しいものがいて、これは「むささび」と呼んだという。
「梅翁随筆」の記述に従えば、江戸でネコを襲ったり血を吸ったりする獣がいたという。その獣を捕えたところ、イタチのような姿で、左右に羽のような膜を具えていた。これを見た人から、深山に住む野衾だと教えられたとある。
現存種のムササビやモモンガも、前足と後足の間に膜があり、木から木へと滑空して移動もする。また、コウモリも、夕方の空などによく見られる動物だった。
「絵本百物語」によれば野衾は、長い年月を経たコウモリが変化したものという。「狂歌百物語」の「飛倉」も、コウモリとも解釈できる姿で描かれている。
歌川国芳による浮世絵「美家本武蔵」では、剣豪・宮本武蔵が野衾を山中で退治する姿が描かれているが、これもコウモリの形態だった。
野衾という妖怪名は、他にも広く使われたようで、妖怪ぬりかべなどとも、共通のイメージを持つ。夕方や夜に、歩いていく前面に壁のように立ちふさがり、上下左右ともに果てがない。道端で気をおちつければ、消えるという。これも、野衾と呼んだのだ。
「西播怪談実記」では、夕刻時、正体不明の巨大な存在が行手を阻む話が紹介されている。
一方、野衾を、ツチコロビ、ノツチなどと読んで、蛇と見ている地方もある。これは、正体不明の何者かが足元を危うくする障りがあったからだろう。
野衾の正体の一つとされた、モモンガそのものの名が、妖怪一般を指すという点にも、注意しておきたい。
月岡芳年「和漢百物語」の1枚に、つづらから出現した化物に驚く、老婆の姿を描いた絵がある。ここの文句に、妖怪の意味で「ももんがぁ」という言葉が使われている。
江戸時代の川柳にも、「丸綿を 取って見たれば ももんぐゎあ」とある。
モモンガは、平安時代にはムササビと区別されておらず、「モミ」と呼ばれていた。これが転じて「モモ」となり、そこに鳴き声の「グァ」が加わって、江戸時代に「モモングァ」という語形が生まれ、最終的に「モモンガ」になったと推測される。漢字でかくと、「摸摸具和」になる。
一説に、この「グァ』音については、元興寺(がんごうじ)からの転訛だという。
元興寺の鐘楼に鬼がいたという伝承から、同じく、妖怪全般をを「ぐゎごじ」と呼ぶようになった。
先の「モミ」や「モモ」と「グヮゴジ」が連結して、「モモンガ」となるというのだ。
いたずらをした子供などを怖がらせる時に、お化けの意味で、「ももんぐぁ」は「ぐゎごじ」とともによく使われた。
また、地方に伝わる民間信仰で、一度は小さな動物が福をもたらすが、やがて家を滅ぼすというものがあった。この内、ヤテイサマという謎の生物の正体は、ムササビだという人もいる。