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入内雀(にゅうないすずめ)は歌人・藤原実方(さねかた)の伝承に登場する鳥の妖怪。鳥山石燕が「今昔画図続百鬼」の中に描き、今日でも良く知られるようになった。異称として、実方雀(さねかたすずめ)とも呼ばれる。
平安時代、京都の内裏の清涼殿へ1羽の雀が入り込み、用意された飯をついばんで、あっという間に平らげてしまうという怪異が起きた。これは、失意の内に死んだ藤原実方の怨霊が、雀に変化したのだと噂される。もしくは、実方の霊が雀に憑いたのだと考えて、大いに恐れた。妖怪名は、内裏に忍び込む雀から「入内雀」、また、歌人の怨みが生んだ怪鳥という意味で「実方雀」と呼ばれた。
藤原実方の霊は、京都の勧学院に勤める僧の夢枕にも立ったという。京が恋しくて、雀と化してやって来たと語り、自分のために誦経するよう頼んだ。翌朝、境内の林の中で、雀の死骸を見つけた僧は、実方の変わり果てた姿と哀れに思い、実方を弔うために塚を築いたとの伝承がある。後に勧学院は更雀寺と改名、雀塚と呼ばれる塔もあるという。
現存種のニュウナイスズメは、夏季に東北地方で繁殖し、秋季に全国に渡来して農作物に被害をもたらすことから、害鳥とされることがある。古来、鳥や虫の大量発生は、異変の凶兆や崇りとも考えられた。
「古事談」「十訓抄」などによると、実方の死後、賀茂川の橋の下に亡霊が出没するとの噂が流れたともいう。
史実では、藤原実方は一条天皇の侍臣でもある名高い歌人。殿上で藤原行成と口論になった時に、怒りにまかせて我を忘れ、行成の冠を奪って投げ捨てるという失態を演じた。このため、京都から陸奥国へ左遷させられる。中央から遠く離れた不案内な土地に配されたまま、藤原実方は、絶望の内に歿したのだ。
雀の妖怪は他にもいた。夜雀(よすずめ)は、高知の幡多、愛媛の宇和、和歌山の田辺などに伝承があった。
夜道を歩いていると、正体不明の鳥のような影に付きまとわれると言い、夜雀に憑かれるのは不吉とされた。安芸では、鳥ではなく黒いチョウのようなものという。懐や傘の中に入ってくるが、気を静めると自然と消えてしまうと伝えられている。
鳴きながら出現するともいい、鳴きながら、どこまでもついて来るものともいう。
夜雀から身を守る、まじないの呪文も伝わっていた。「チッチッチと鳴く鳥は、シナギの棒が恋しいか、恋しくばパンと一撃ち」、または「チッチッチと鳴く鳥を、はよ吹き給え、伊勢の神風」と唱えるのだ。
容易に夜雀をつかまえると、夜に目が見えなってしまうとも言われ、大いに恐れられた。
夜雀は、人間を襲う野生動物とも関係があったようだ。愛媛では、山犬の出る前兆として、夜雀が道を歩けないほどに飛んで来るという。和歌山では、夜雀が憑いている間、オオカミが山の魔物から守ってくれるともいわれた。
送り雀という妖怪もいた。和歌山や奈良の吉野に伝わる妖怪で、和歌山では雀送りの異名もあった。和歌山では、妙法山によく出現したという。その鳴き声が実在種のアオジに似ていたので、蒿雀(あおじ)とも呼ばれた。
夜雀と同様、夜の山道で、鳴きながら飛んで来る。鳥の姿だとされるが、その姿を見た者は誰もいない。夜に提灯を灯して歩いていると、寄って来るともいう。送り雀のの鳴き声の後には、続けてオオカミが出るとも、または送り狼という、別の妖怪がが現われると言われていた。
道で転倒すると、送り狼やオオカミに襲撃されてしまうため、送り雀の鳴き声を聞いた者は、転ばないよう足元に注意を払ったという。