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大坊主(おおぼうず)とは、日本各地にある民俗資料や古書などに登場する大きな坊主の姿をした妖怪である。
意味合いとして、大入道などと同様に用いられている。
坊主(僧)達が、妖怪視されるようになったきっかけは、江戸時代にキリスト教の禁制にともない、寺請制度が定められ、寺院の腐敗・堕落が進んでいき、そうした僧達へ庶民が嫌悪感を抱いたことが要因の一つとして見られているようだ。
『各地の大坊主の伝承』
越中国(現・富山県)の伝承=怪奇譚「ばけもの絵巻」にこう記述がある。
倶利伽羅峠の猿ヶ馬場という場所にて、一人の木こりが昼寝をしていたところ、枕元で誰かの声をきいて目を覚ましたところ、そこには3メートルほどの大きな坊主が立っていた。
木こりは、恐怖を覚え、必死に命乞いをしたのだが、大坊主はこう言った。
「自分は人の命をうばう者ではない、天に連れて行って、世界の果てをみせてやる」
といい、手招きをしてきた。
木こりが震え上がり、逃げ出したのだが、大坊主は怒り、木こりをつかまえて放り投げた。
そして、木こりが落下したところは、加賀国金沢の町はずれの大樋(現・石川県金沢市大樋町)だったそうだ。
元の場所からは6里も離れている場所だったと言う。
原典での名は大坊主であるが、妖怪研究家・湯本豪一の話では、これを「見越し入道」の話だと見なしている。
長野県の伝承=木挽きの仕事をしている長太郎という男の仕事場には、毎晩のように大坊主が現れ、「相撲をとろう」と、せがむのだという。
長太郎が相撲をとるふりをし、坊主の腰に斧を叩きつけたところ、坊主は逃げて言ったという。
その話を聞いた仕事の仲間達は、その翌日に大坊主の血痕を辿って行くと、その先には大明神岳の頂上の石宝倉に続いていたのだそうだ。
静岡県の伝承=とある墓地の近くの暗い杉林に大坊主が現れたという。
その大坊主は、通りかかった人の背中に重い体で負ぶさってくるのだが、日の光の届くところまで行き、太陽に必死に祈ることで、大坊主はやっと離れるのだそうだ。
因幡国(現・鳥取県)の伝承=鳥取県の口承資料『因伯昔話』には、木が茂り、昼でも暗い森があり、ここを夜12時~2時頃に3回通ると、必ず大坊主が現れるという噂があった。
それを聞き、羽田半弥太という荒武者が、その正体を見破るために森へ出向いた。
夕方、茶屋で夕食をとり、店の主人に怪物の正体を見破りに来たと話し、愛想よく送り出す主人を後にし、森へ向かった。
森の奥にたどり着いた頃にはすっかり夜が更けていた。そこへ、怪しい風とともに、大坊主が現れ、目を光らせ、羽田半弥太を睨み付けた・・が、彼が動じずにいると、大坊主は姿を消した。
帰りに、また茶屋に寄り、主人に大坊主が現れた事を話した。
そして主人は「怪物の大きさはこのくらいでしたか?」
「いや、もっと大きかった」
「では、このくらいですか?」と、言った途端、主人が恐ろしい声と共に、森の中で見た怪物よりさらに巨大な大坊主へと姿を変えた。
それと共に、半弥太は気絶してしまったのだった。
気がつくと、そこはただの野原になっており、主人の姿も茶屋も消え去っていたのだそうだ。
鹿児島県での伝承=江戸時代の随筆集『新著聞集』の記述によると、竹内市助という者が、宴に出席し、その後、宴が終わった座敷にいたところ、座敷の戸から坊主が顔を出してきたのだという。
その顔は、3尺ほどの大きさがあり、市助は、肩をつかまれたので、刀を抜いて斬りつけたが、まるで綿を斬ったかのように感触がなかったという。そして市助が大声で人を呼ぶと、坊主は姿を消したという。