古椿の霊、古山茶の霊

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日本には古代から、年を経た樹木には魂が宿り、様々な現象を起こすと信じられて来た。この一つが古椿(山茶)の霊だった。この名称は、鳥山石燕の画業に由来する。
椿にまつわる怪異は各地にあり、これは江戸時代に限らない。特に目立つのは、古い椿が人語を発したり、女の姿に化けたりする怪談である。
秋田の蚶満寺では、深夜、境内にある古椿が悲しげな声を発し、その間は寺に怪事件が頻発した。怪異は長く続き、椿の古木は、寺の凶事を告げる「夜泣き椿」と呼ばれた。樹齢700年におよび、寺の七不思議にも数えられている。
椿は泣くばかりか、笑いもした。京都の園部城の抜け穴の近くに古椿の大木がある。近くに人が通りかかると、椿の木から笑い声が聞こえて来たという。
福井の今立に、弓形の坂と呼ばれる難所があった。そこには、樹齡何百年という、椿の古木が多く繁っていた。伝承では、椿女郎という妖怪が毎晩出て、道行く人の袖を引くと言われている。
似た怪談は、山形にもある。天明期のこと、城下を2人の男が歩いていた。峠道に、女がいる。その女が、男に吐息を吹きかけると、何とハチに変わってしまった。女は、そばに毒々しく咲いている椿の花の中へ姿を消した。と、男から変身させられたハチも、椿の花の中に吸い込まれていった。やがて、花が地面に落ちる。もう1人が花を拾うと、ハチは既に死んでいた。
残された男は花を持って、最寄りの寺へ行った。住職は、以前から街道を行く者が姿を消していて、その妖怪の仕業に違いないと、男の死を憐れんだ。
愛知、犬山の万願寺にも、化椿と呼ばれる古木があり、7枝にわかれている。この場所は、800歳まで生きたと伝わる八百比丘尼が入定した跡と言われていた。こういった伝承から、先のような妖怪が派生したとも考えられる。
何か曰く因縁がある場所に植えられた椿も、怪異を起こした。
岐阜の大垣で、古墳が発掘された後に、死者が続いた。崇りを恐れ、埋め直した上に、供養の椿を植えた。その後、椿の傍らに、謎の光を発する女が立つのが目撃されるようになった。
長崎には、キリスト教徒と椿の伝承があった。ジョアンヌという伴天連(ばてれん)に洗礼を受けた男が、赤ヶ岳に1本しかない、白銀色の花が咲く椿の幹に、指で十字架を刻んだ。その後、この椿が切り倒されたとき、切り口から乳白色の涙が流れたという。
茨城の鹿島では、昔、領主が戦場に向かう際に、1枝の椿を地に指し、これを鹿島神宮なりといって勝利を祈った。その戦に勝利し、椿を挿した地を明神として祀り、今の地名が起こったという。もともと、ここは、多くの囚人を連れてきて厳しい開墾に従事させたので、今に至るまで多くの囚人の亡霊が出るという、曰くつきの土地だった。
京都には、古い椿の根が光って飛んだという話があり、肥後国では、椿を材料にしてすりこぎを作ると、化けると言われた。
新潟の柏崎で、長者が、金銀を隠す場所に悩み、一本の椿の木の下に埋めた。湯治に行くと、誰も知らないはずの隠し場所を、誰かが歌っていた。帰宅して、椿を見ると、枝は白銀に葉は黄金になっていたので気を失った。
弘法大師の伝承にも、椿が登場する。大分にある真玉の浦に、大師が唐から帰国する途中嵐に遭い,漂着。椿の杖で岩を突いて、清水を出した。またその杖を土に挿すと,芽を出して、椿の大樹となったという。
鳥山石燕は「今昔画図続百鬼」で、古椿の霊を描き、老いた椿の木に精霊が宿り、怪木と化して人をたぶらかすと説明した。