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不知火(しらぬい)は、海に出現する火の妖怪。鳥山石燕も「今昔画図続百鬼」で、視覚イメージ化している。
熊本の八代海、福岡、佐賀、長崎三県に囲まれた有明海に出る怪火と知られる。「日本書紀」などでは、不知火を目撃した景行天皇が質問したところ、誰も答えられなかったので、不思議の出来事と思い、ここから火の国の異称が出たとの説がある。不知火の文字もこの故事に由来、何物とも知れぬ怪火という意味だろう。
古くから知られた不知火は、多く報告されている。長崎県では、旧暦12月29日の夜中1時ごろに不知火が出る。親火と呼ばれる光源から海上、一列左右に、2里ほどの長さに広がり、点滅したりした。午前2時ごろにしきりに増え、最も多い時は、数えると250もの火が明滅したという。不知火に近づこうとしても、決して果たせず、近づくと火が遠ざかって行くとも伝わっている。
熊本の八代には、旧暦8月に、日奈久温泉の付近の海に不知火が現れるという伝承があった。
宮崎に伝わる話では、不知火は龍神の灯だという。銀鏡(しろみ)神楽の祭壇には、ワラ綱のとぐろをすえて、その中心に木製竜頭をつけたものを左右に置く。銀鏡神社の上の山は龍房山と呼ばれ、山頂に龍神が棲むと伝えられていた。これは雨乞いに応える神としての龍神で、八大龍王系の龍神だったという。
広島では、夏から秋の夜にかけて、沖合の海上を怪火が走ることがあったという。これも、不知火の一種だろうか。
長崎の南高来では、海上にぼんやり見える火を「うぐめん火」と呼んだ。近くに行っても、必ず離れて、遠くに見える。また、火の方向から話し声も聞こえた。それで、海で遭難した人の霊がさまよっているとも考えられた。
愛媛にも、伝承がある。筑紫の不知火に似た怪火が櫛生や喜多灘間で見られる。毎年2、3月の深夜に現れ、低く走ったり飛んだりするという。残っていた石碑によると、昔、灘沖で死んだ人の怨霊だと、由来が説明されていた。この怪火が目撃されると海が大荒れになる、シケに襲われたので、「灘沖の時化火」とも呼ばれていた。
岡山には、「ホボラ火」が出た。ある漁民が海上で夜遅く、仕事をしていたところ、怪火に遭遇。目を凝らすと、火の塊に見えたのは、帆をたたんだままであるにもかかわらず、物凄い速度で進む船だった。このホボラ火は、難破した船が、沈んだときのままの姿で現れる妖怪なのだという。
怪火が船に変化する例は、山口にもある。長門で、夜に沖へ出るとよく目撃する現象は、怪火と並んで、風に逆らって走る船影だった。万燈のように灯をつけた船が突然、近付いて来て、急に消える事もあった。海上で遭難した人の魂が、仲間を取ろうとして、人を殺すのだと考えられた。一説に、海坊主がいさり火を消そうとしたとか、いさり火を投げ付けたとも言われた。
高知では、海上に現れ、遠近や速度を様々に変えながら漂う怪火は、「ケチビ」、「ボーコ」などとも言われた。
奄美では、船乗りに最も恐れられたのはシバナと呼ばれる、浮かばれない魂だった。ウキシバナというのが、海で死んだ人のシバナ、テイーシバナは野原で死んだ人のシバナの意味である。ウキシバナは、波間をさまよい、「ムヌヒ」という不知火になると信じられていた。
不知火に似た怪火は、森の中にも出た。「諸国里人談」によると、森から桃火のようなものが現れた。松山の方から、怪火が飛んで空中で戦っているように見えた。やがて海中に落ちるという。