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夜に通りかかると、こそこそと擦る音が聞こえる巨岩があった。この妖怪を、こそこそ岩という。
こそこそ岩や、中山の夜泣き石のように、音を発する奇岩の記録は、江戸期にも多く残っている。
「碌々雑話」によると、広島には、夜中に畳を叩くような音を立てる妖怪がいたという。冬の夜、北風が強くなり始めた時に、七曲の辺りに、怪音が聞こえて来ることが多いという。同地にはばたばた石という奇石があり、この石の精の仕業であるとも伝えられている。このばたばた石に触れると、跡が残ったという。
長野の北佐久には、蛇石がある。土蔵の中の石から、人のいびき声のような物音がするので、神主に占って貰った。すると、別の家に棲んでいた蛇の精が石に憑いているから、大事にして欲しいということだった。祈祷を済ませると、怪音はぱったりと止んだという。
また、諏訪神社にも、森の北方にホラ貝のような形の石があった。村に凶事が起きる前には、決って大きな音を立てた。そばに地蔵像があったので、「地蔵のほらが石」とも呼ぶ。
似た怪談は、佐久にもあった。香坂川の南の山にある仏岩は、人が死ぬ前に、ガラガラと音を立てる。
北安曇にあった物岩(ものいわ)は、命を狙われている者が付近を通りかかると、「殺されるぞ」と声を出して注意を促し、その者の命を救ったと言われている。

同じ北安曇には、夫婦(めおと)岩も存在した。大きい岩と小さい岩が並んでいたので、この名が付いた。旅人が足で、小さい方の岩を谷底へ蹴落とした。すると、「上げてくれ」と声が聞こえて来たので、怖くなり、元に戻してやった。
福井にも、似た伝承がある。坂ノ下川のほとりの雄岩は、昔は山上で雌岩と重なっていたが、何百年か前に地震で落ちてしまい、それ以来、夜中になると「おーい」と雌岩を呼んでいた。そこで、ある男が、雄岩に矢を打ち込み、表面に経文を刻んで黙らせたという。
京都の船井には、ウグイス岩と呼ばれる奇物があり、岩の中から、ウグイスの鳴く声が聞こえるという。
岡山には、杓子岩もあった。夜、通りがかった人に「味噌をくれ」と言って、杓子を突き出した。
「 嬉遊笑覧 」にも、志摩の安楽島にある奇岩が紹介されている。その岩の上でしゃべれば、岩も同じようにしゃべり、鼓や三味線を弾けば、岩も同じように音を出す。その音は、屏風や障子で隔てたように聞こえたという。しかし、笛を吹いてみても、音は返って来なかった。
香川の琴南には、オマンノ岩があった。近くを人が通りかかると、中から老婆が現れ、自分はおまんの母だと名乗るのだという。
声岩というのもある。木曽にあった声岩を崩そうと石工が近づくと、洞穴の中から誰のものとも判らない声が聞こえたので、恐ろしくなって止めた。
「斉諧俗談」には、魚龍石が載っている。魚竜洞と呼ばれる洞窟から流れ出た石を割ったところ、中から魚龍の形をした石が見付かった。その魚龍洞の前で誰かがしゃべると、中から風雷の音が聞こえて来るという。
鏡岩も、怪音を発した。広島の、犬伏七不思議の一つにも数えられる奇岩だという。鏡岩には、2つに割れた岩の間から、藤ツタが生えていた。この亀裂には、岩の上で化粧をしていた遊女が、うっかり鏡を落としたと言い伝えが残っていて、藤ツタを振ると、鏡の破片が触れ合う不気味な音が響くという。
これらの怪音も、山神が起こしていたのかもしれない。鹿児島の大島では、山の神々が海に釣りをしに行く日が決まっていて、山にも海にも行ってはならないとされた。神が山の尾根を通るので、岩の崩れる音がするからだという。