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古代から、樹木には魂が宿っているとする、アニミズム・精霊信仰があった。これを木霊(こだま)と呼び、鳥山石燕が木魅の文字を当て、「画図百鬼夜行」に絵を収めている。「和名類聚抄」では古多万と表記、「古事記」に言及があるククノチノカミからの連想も考えられよう。
深山のみならず、身近な木霊の例が「久保之取蛇尾」にある。節分や除夜に、1人が樹上に登り、もう1人が斧を持って根元に立つ。その木に向かって「来年よく実がなるか、実らないか」と声を掛け、樹上からもう1人が「実ります」と答える、習わしがあった。すると、来年よく実ができるという。
宮城では、木霊抜きを行った。百年以上経った樹齡の木を伐るときは、その古木の小さい枝を先に伐り、他の木にかけ渡して、木霊抜きをした。また、南天の木を植えて、木の魂を移すこともある。
このような魂を持つ樹木は、様々な伝承を残して来た。
山形の最上にある聖天宮では、杉の大木を伐り出そうとすると、斧を入れた裂け目から血が噴出すた。何とか伐り倒して、根元で大きな船を作って川に降した。すると船は突然向きを変えて川を上り始め、やがて静かに沈んだ。旱魃の時は、この舟を棹でつつくと雨が降るという。
千葉の成田には、唸り松の伝承がある。木が声を発するというので、男が確かめに行ったが何も起きなかった。帰り道、影のような大男が付いて来る。やっと、家に着いたものの、怪火から全焼してしまった。
「月堂見聞集」には、享保年間の奇談が載っている。自宅の普請のため、邪魔な柿の木を伐ろうとしたら、その木には霊が宿っているので切れないと、大工が言い出した。下男が、何か起きたら自分が相手になってやると笑う。その夜更け、空から声が響くと、謎の力がはたらき、下男は空中に舞い上がった。この怪事が毎夜続くので、主人が空に向かって、何者だと問うたところ、返事があった。自分は100年以上前、この屋敷で働いていた女で、柿の実を盜んだとして殺され、木の根元に埋められた。柿の木を神として祠れば、災厄を予言し、病を平癒しようと告げた。恐れた主人は、すぐに社を造営したという。
「強斎先生雑話筆記」には、肥後の野原八幡の社木が大風ですべて倒れたが、一夜の間に震動して、倒れた木がみな起きたという。
「中陵漫録」にも、木霊の例がある。多くの芭蕉が植えられた場所では、夜に下を通ると、異形の者に出会うという。恐らく、芭蕉の精が人を驚かしているのだろうと噂された。
岐阜で、川が氾濫し、古い墓から骨が流出した。人骨を、神木の根元に埋め直したら、それから、人の悲鳴が聞こえたりするようになる。村では、高熱にうなされる者が続いたので、戦国時代の侍の祟りだということになった。
愛知の知多にある屋敷の庭には、白蛇が住むという大きな榎があった。今は枯れて、根元だけが残っている。白蛇は、昔この地に逃げて来た落ち武者の化身だと言われていた。榎の根本には、刃物でつけたような傷が残っているが、これこそ落ち武者が斬り殺された時の跡だという。この木を切ると、血が出るとも言われていた。
高崎では、碓氷川が氾濫した時、夜中に光り物が目撃された。翌朝に見ると古木で、芳香を立てた。この良い香りを気に入った、観音が引き寄せたのだろうと、観音堂に納めた。数十年後、霊夢を見て登山した男が、この霊木から、達磨の座禅像を彫り上げて、遂には寺を開いたという。似た話は福島の小倉寺にもあった。坂上田村麻呂が田谷窟の悪路王を征討し、その際に信夫山中の毎夜光る霊木をもって仏像を造り、その地に祀った。