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影女は、鳥山石燕の「今昔百鬼拾遺」に載る妖怪。その解説に曰く、物の怪が憑いた家屋に出るという。月の光にに照らされた女の影が、障子に映るイメージである。
この妖怪名での伝承は他の記録が見付からないので、画家が創造したのだと推測される。もともと漠然としたイメージが、歴史の中で、次第に視覚化されて来たのが妖怪であり、いまだに確固としたイメージが定まらない妖怪は数多いのだ。だから、石燕や水木しげるら、妖怪画家の功績は大きい。
とは言うものの、影女に似たイメージなら、他にもある。岩手の八戸で、座敷童子(わらし)の影が障子に映るのを見たというのだ。それは丈の短い着物を着た、3、4歳くらいの子供の影だった。動くのがとても速く、急に障子を開けたりもしてみたが、いつも何もいなかった。ただ、その家の主人だけに、座敷童子が恒に見えるのだという。
岩手でも、影の怪異があった。明治年間、ある女の家で、毎晩、障子に少年の人影が映る。蛇が少年に化けて、誘惑に来たのだという。
影に関わる妖怪は、他にもいる。
秋田には、影取(とり)がいた。淵や沼の畔を通る人の影が水面に映ると、主である魔物が水の中に引きずり込むという。この妖怪を、影取と呼んだのだ。
島根では、この妖怪が海に出て、影鰐(わに)と称してる。影鰐が海面にに映った船乗りの影を呑むと、その男は死ぬという伝承があった。昔、ある船乗りが航海中、影鰐に影を呑まれそうになったので、妖怪を打ち殺した。漁を終えて浜を歩いていたら、足の裏に魚の骨が刺さり、それが元で死んでしまった。その骨は、影鰐の骨だったという。
海鰐は、海底に潜む怪魚だったようでもある。海底に洞窟があり、この沖で、海中に潜って魚を獲っていた男が行方不明になった。村中で探しても、見付からない。その海底の洞窟が怪しいという話になった。そこには、影鰐が棲むと言い伝えられて来たからだ。
宮城にも同じ話があるが、妖怪名は付いていない。ただ、年を経たサメの仕業と考えられていたようだ。
影に潜む妖怪もいた。ノガマは石垣や大石の影にいるので、近寄ってはいけない。ノガマが襲いかかって来たら、冷気を帯びた風が吹き、足元が急に痛くなる。または、刃物で切られたように傷が付き、血が吹き出すというから、鎌鼬(いたち)のような現象だったのだろう。愛媛に伝わる怪事だ。
狸が人を化かしても、その影で正体が判ってしまうことがあった。長野で、仕事に行くため早く起床すると、誰も訪ねて来るような時間でもないのに、まだ暗いはずの外で、戸を叩く音がする。ところが、障子に映る影を見ると狸だ。狸は、しっぽの影が映っているのに気付かず、戸を叩き続けていたという。
香川で、夜道を歩いていると影のようなものが動く。見上げると、どんどん大きくなる。日が高くなると、この妖怪は見えなくなる。
これはタカンボと呼ばれ、高坊主の一種だろう。このように形をはっきり見せない、影のような妖怪は大入道や海坊主など数多い。 
影についての伝承も、各地に多く残っている。富山では、地面に映る自分の影に、頭だけが映らなかったら、その年の内にに死ぬ。宮城でも旧正月14日の夜、月影に身を映した時、身体の影だけで、頭の影が映らないと、年内に命を落とすと信じられていた。
「北国奇談巡杖記」によると、九人橋という橋があり、10人が並んで渡るとその内の1人の影が必ず消えたという。その橋が架かる付近の地の気が陰性だったために、このような現象がおきたのだろうと解釈している。