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化鯨(ばけくじら)や骨鯨など、水木しげるのイラストでも知られた妖怪も、自然界のクジラから、想像力をふくらませた結果だろう。クジラの漁は古くから盛んで、陸に流れ着いたクジラも、江戸時代の随筆に記録されている。例えば天保年間、巨大なクジラが沖合に姿を見せ、向きを変えて、そのまま砂浜に乗り上げてしまったという出来事があった。
クジラに関する伝承も数々あり、崇りも多かったようだ。
長崎に、クジラ漁で財を築いた長者がいた。夢枕に貴人が立ち、明朝に龍宮の使いに行く33頭のシロナガスクジラが通るので、獲らないように懇願した。ところが、長者が中止を指示したにもかかわらず、間に合わずクジラは捕獲されてしまっていた。後悔した長者は、これを機に捕鯨を止めた。
後に、この話に崇りが付け加わる。出産のために沖に行くので捕らないでほしいと、クジラに頼まれる夢を見た船主がいた。漁師たちは海に出て、鯨を捕まえようとする。その時、突然暗い雲が出て風が押し寄せ、船は沈沒してしまう。船主は鯨碑を建て、念仏し続けたという。
佐賀にも、類話がある。クジラが夢枕に立ち、大宝山参りでこの沖を通ると告げる。漁にかかろうとした矢先、黒雲が空を覆い、雲の中に微笑む女の顔が見えた。途端に暴風雨となり、全員が海の藻屑と化した。
親子連れのクジラから、弁天島にお詣りに行くので、獲らないように夢の中で哀願される。しかし、漁師仲間から促されて、モリをクジラの腹に射ち込んだ。帰宅すると、モリが落ちてきて、子供に刺さり即死した。この猟師本人も、入水して果てたという。
これらは九州や中国地方に、広く知られたストーリーだった。夢のお告げに耳を貸さず、クジラを獲った結果、没落したり、不幸に見舞われるのが、共通点である。二百年後に夫婦が千日参りをして、やっと不吉な事件から離れられたという、クジラの執念深さが窺える怪談もあった。ネコからクマまで、七代祟ると恐れられた動物は多いが、クジラもこの一つだったのだろう。
更に霊験譚や報恩譚に形を変え、受け継がれていく。三重にある腹子持鯨菩提塔は、疫病が流行したのが鯨の祟りだということから、和歌山の阿弥陀仏碑も、クジラの祟りから逃れるために建立されたという。後者は、捕鯨に携わる家に、子供が生まれないことが続いたので、崇りを恐れた人々が、クジラの鎮魂のために建立したという。漁師たちは子連れのクジラには特に気を懸けたようで、万が一、親子で捕獲してしまった時には、きちんと埋葬し石碑を建てた。こうしないと、災厄を避けられないと信じたのだ。
村に迷惑をかけた人や、恩恵を施された人が、罪ほろぼしや恩返しのために、クジラに変身して帰って来るという信仰もあった。これは、クジラを獲らない地域にも見られた。石川で、火の不始末で家を燃やしてしまった老婆が、クジラにでも身を変えて詫びたいと念じていた。老婆が死んだ後、大きなクジラが獲れ、この代金で遺族は賠償を果たす。このクジラこそ、あの老婆だったと、噂が絶えなかった。
白杵では、子供2人が急死したので、寺に向かう途中、2匹のクジラに遭遇した。子クジラが船に当たったので、引いて帰った。漁師は、クジラも併せて供養したという。
石川のある村では、厄介者でも大事にした。身寄りがなければ、村中で面倒を見た。なぜなら、来世でクジラに生まれ変わって、村の浜に上がり、世話をした村人に多大な利益を与えて、恩義に報いると信じていたからだった。