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犬神とは、西日本を中心に分布している犬の霊の憑き物である。
古くから伝わっている伝承だが、近年でも四国や大分、高知などで根強く見られている。
動物の憑き物と言えばキツネが有名だが、このキツネがいない地域での信仰が強い。

発端は平安時代。
当時は動物を使った呪詛が非常に恐れられていたため、呪術の類が禁止されていた。
しかし、民間には密かに広まっていたのである。
主なものは、犬を飢餓状態にしてその首を切り落とし、地面に埋めるというものだ。
この上を人々が歩くことで埋まっている犬の怨念を増加させ、それを呪いに使うという方法であった。

こうした呪いの目的以外にも、幸福祈願として同様の方法が使われた。
犬の首から下を生き埋めにし、飢餓状態にする。
地面から出た頭の前にエサを置き、食べようともがくその首をはねる。
頭だけの状態でエサに食らいつくため、この頭を焼いて骨にし、祀るという。
そうすることでその者の願いが叶うとされていた。
また、数匹の犬を戦わせ、残った1匹に魚を与えてその首を切り落とすという方法もあった。
切り落とした犬の首に沸いたウジを乾燥させて薬として売る悪徳な商売もあり、この者たちは巫蟲と呼ばれた。

このような背景から、犬神の姿は相当おどろおどろしいものと思われていたが、地域によって姿が異なるのが特徴だ。
最も多いのはネズミより少し大きいくらいのサイズで、まだら模様の体。
1列になって複数で移動するとされるため、犬神というには若干小さく感じられる。
大分では白黒のまだら模様が特徴のイタチに似ているものや地ネズミに似ているという言い伝えがある。
徳島では囲炉裏で暖をとっているとされるため、前述の呪詛のイメージからは程遠い容姿だ。

しかし、昨今でも犬神を恐れている地域が存在する。
この犬神は憑かれやすい人物・家系があると言われ、憑かれやすい家系を「犬神持ち」と呼ぶ。
情緒不安定で喜怒哀楽の激しい性格に寄りやすいとされ、憑かれた人は体に痛みを訴えたり犬のように吠えると言われる。
憑かれやすい家系には理由があり、前述のような犬を使った呪詛を行った者の家系であったり、動物や虫を使った呪詛(蠱毒)を行った術者、祈祷師などの血筋なのである。
この血筋は代が変わっても消えることがなく、生まれた子供に引き継がれてずっと犬神筋のままなのだ。
そのため、犬神の発端となった当時から家ごと避けられる傾向にあった。
当時の高知県では1つの村に5戸ほどの犬神持ちがいたとされる。
現代でもこの風習は色濃く残っており、四国で強く見られるのが婚姻前の血筋の確認である。
相手の家系に犬神筋が疑われないかを調べるもので、現代においても当然の習わしとなっている。
犬神は憑いたら最後、その者が死んでも消えることはない。
子供がいれば子供に、さらにその子供にと伝わるため、犬神の血筋がある者との婚姻は認めないのが一般的なのだ。

愛媛県に伝わる犬神は、その家計の家族全員に犬神が憑くとされる。
家族が増えると犬神も増え、代々続いていくものと伝わっている。
また、犬神筋の家は栄えるとも言われるが、中には家族の者を食い殺す場合もある。
家人の欲しいものを手に入れたりするため福の神とされる一方で、疫病神として扱われることも少なくない。

ただの妖怪伝説というだけでは済まない犬神。
現代でも語り継がれる背景には、このような昔の出来事が絡んでいる。
犬神の血筋は絶えることなく、未だに存在しているのである。