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人面瘡(じんめんそう)とは、体にできたあざなどが人の顔に見え、しゃべったり飲み食いするとされるものである。
昔、京都に住んでいたある男が体調を崩した。
その半年後、男の足に大きな腫れ物ができ、ひどく痛むものであった。
ある日、酒を飲んで上機嫌だった男が足の腫れ物に「お前も酒を飲むか?」と、何気なく話しかけた。
すると腫れ物はもぐもぐと口を動かしたのでたいそう驚き、試しに酒を口にいれたところごくごくと飲み干してしまった。
すっかり驚いた男が、「飯も食うか?」と米をあたえたところ、本物の口のようにもぐもぐとたいらげたという。
腫れ物がものを食べていると痛みは引くのだが、しばらくするとまたジクジクと痛みだした。
そのうちに食べ物を与えないと痛みが増すようになり、男は骨と皮だけになって死を待つばかりとなってしまった。
そんなある日、男の元に曽呂が現れ、腫れ物を治せると言った。
そこで男は屋敷や田畑を売り払い、曽呂に金を渡して治してくれるように頼んだ。
曽呂は様々な薬を買っては腫れ物に与え、その度に腫れ物はすべてたいらげていた。
しかし、ユリ科の多年草の薬草である貝母(ばいも)だけは嫌がって口にしなかったので、曽呂がこれを粉にして腫れ物に食べさせた。
するとあっという間にただのかさぶたになって治ったという。

理由もなく突然現れることが多い人面瘡だが、中には人の恨みによって出る物もあった。
延宝時代の怪談集では、男女の関係が引き起こしたとされる話が載っている。
平六左衛門という男の父が下女に手を出し、妻が嫉妬のあまり下女を殺したが、それから父の肩には人の顔のような腫れ物が出たと言う。
そして数日後に妻が死亡したが、今度は反対の肩に人面瘡が出た。
2つの人面瘡はそれぞれが父に話しかけ、父が無視すると激しい痛みやひどく苦しい呼吸困難を起こした。
ある日、1人の曽呂が宿を求めてこの家に立ち寄り、父の肩の人面瘡のことを聞くと法華経を唱えたと言う。
すると父の肩からヘビが出てきたため、これを捕まえて塚に埋め、供養したと言うのだ。
それからは父の肩の人面瘡は消えたと言う。

人面瘡は数百年前に流行した奇病とも言われるが、近代で起こっていないかというとそうでもない。
最も新しいのは明治の15年の事件である。
三重県の農家の男の股に人面瘡ができたと、当時の新聞に載ったのだ。
男の話では、試しに食べ物を与えたところもぐもぐと口を動かし、生きているように食べてしまったと言う。
そしてたらふく食べたにもかかわらず、まだ足りない様子だったと言う。

現代に近い時代でも希に見られた人面瘡。
この奇病の正体は解明されており、腫れ物の傷口が人の口に見え、くぼんだ部分が目鼻に見えただけであろうとされている。
また、象皮病なのではないかとの声もある。
これは皮膚や皮下組織の結合組織が肥大して象の皮膚のようになる病気を指す。
普通の皮膚とは見た目も違い、体の1部に起こると言う点から最も近い病気とされた。
くぼみが表面に多いため人の顔に見えても不思議ではない。
また、江戸時代にはこの象皮病が流行したことから、やはり人面瘡の正体は象皮病であると言われている。

しかし、象皮病のくぼみの1部が食べ物を食べる事例や言葉を発する事例は確認されていない。
人面瘡が飯を食べ、酒を飲み、言葉を話したと言う点に合致しないのである。
やはり人面瘡は、昔現れていた妖怪の1つとみて間違いないだろう。
象皮病とは似ているがまったく別のものの可能性が高いのだ。