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満月をよく見るとウサギの形に見えると言われる。
これは古くから伝わっているもので、月にはウサギが住んでいるという伝承になぞらえたものである。
日本の童謡「十五夜」の歌詞にも、【ウサギウサギ何見て跳ねる 十五夜お月さん見て跳ねる】とあるように、ほとんどの人が月とウサギには深い関係があると知っている。
月にウサギが住んでいるという伝承は、はるか昔の話が起源である。

その昔、キツネとサルとウサギは、行いの悪さが目立ったために来世でも人にはなれないと言われていた。
きっと良い行いをすれば来世は人になれると信じた3匹は、毎日修行を積んでいた。
この3匹を見た帝釈天は、良い行いをさせてやろうと考え、人に化けて3匹の前に姿を現した。
帝釈天がみすぼらしい姿の爺になり、山道に倒れていると、3匹がそれに気づいた。
3匹は、なんとかしてこの爺を救おうと考えたのだ。
まず、サルは得意な木登りをして、爺のために沢山の木の実を集めた。
次にキツネが、川へ行って沢山の魚を捕ってきた。
2匹が収穫した木の実や魚を抱えて戻ると、爺の側に何も持っていないウサギが立ち尽くしていた。
ウサギにはサルやキツネほどの特技がなく、爺に何も捕ってきてやれなかったのである。
悲しんだウサギはふと思い立ち、キツネとサルに火を焚くように頼んだ。
何をするのかと思っていたところ、ウサギは自ら火の中に飛び込み、爺の食糧になったのである。
これを見た帝釈天はウサギの行いに感心し、世の中の人々が勇敢なウサギの姿を見られるようにと、月にウサギを昇らせたのだという。
今でも月に浮かぶのは、火に焼かれて黒こげになったウサギの姿なのである。
ウサギのシルエットの周りに見えるモヤのような影は、焼けた時の煙であるという説や、ウサギの行いに感動した帝釈天が山を絞ってウサギの絵を描いたものという説がある。
いずれもウサギがいかに自己犠牲を払ってまで人を助けようとしたのかを伝えており、今でも語られているのはそのためである。

この他、ウサギが月で餅をついているという伝承も残っている。
月のウサギは帝釈天のかかわりでわかったが、なぜ餅つきなのか。
これは「望月」を「餅つき」にしたという一種の洒落が入っているのだ。
ウサギが月で餅をついて遊んでいるとも言われる。
現代でいうところの言葉遊びだが、実はここにも重要な意味が込められている。
まず、遊びというのは、昔は神だけが行うものであった。
すなわち、ウサギが餅をついて遊んでいるという事は、ウサギが神として信仰されていることを表している。
神聖な神の遣いとして考えられていたことがあるため、こうした歴史が作り出した神話だと言える。
現にウサギは1匹・1頭ではなく、1羽2羽と数える。
これは、昔のウサギは耳で空を羽ばたいていて、神の元に行き来したと考えられるからだ。
鳥のように空を舞っていたとされるため、数え方も鳥とおなじなのである。

また、中国では月のウサギは餅ではなく薬草をついていると信じられている。
中国では月で薬草をつくウサギを「玉兎」と呼び、玉兎は月で不老不死の薬を作っているとされる。
ウサギは西王母という中国の女神の遣いであるとされており、日本と同じように神聖な生き物として扱われているのがわかる。
どちらもウサギを神の遣いとし、大切にしていることがうかがえる。
文化や国は違っても、こうした信仰に共通点があるのは不思議なものである。
ウサギが神と関わっていると考えているのは、アジアだけではないのかもしれない。