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馬憑きとは、文字通馬が人に取り憑いている状態のことである。
人に憑く動物と言えば、一般的にはキツネやタヌキが想像できるが、馬もまた例外ではない。
荷物を運んだり畑仕事の手伝いをしたりと、昔から人の生活に欠かせない家畜であった馬。
身近な存在であったが、無残な死に方をしたり虐待されるといったように、大切に扱われない場合に人に憑いたという。
馬に憑かれると、ほとんどが嘶き、桶から水を飲むというような馬を思わせる行動を取る。
実際に憑かれた者の話が残っている。

江戸時代、若い男が馬を飼っていた。
あるとき馬同士が喧嘩を始めたため、止めに入って誤って馬を殺してしまった。
すると男が40を過ぎたころ、突然馬小屋で馬のように鳴き声を上げ、桶から水を飲むといった奇行を始めた。
人々はただの悪ふざけだろうと笑っていたが、あまりの奇行ぶりに、次第にふざけているのではないと感じはじめる。
しかしそう思った時にはすでに遅く、男はすぐに死んでしまったのだという。
また、若いころに馬仕事をしていたという他の男にも同じような症状が見られた。
この男もまた馬のような挙動を繰り返し、人々が異変に気付いた時には息絶えていた。
馬仕事を真面目にしなかったために生きながら畜生道に落ちたと言われた。
わざとでなくとも、馬に危害を加えたり、誤って殺してしまった場合に多く見られたのだという。

馬を虐待した者の馬憑きは、これだけでは済まない。
あるところに馬に焼印を押し、馬が痛がるのを見て喜んでいる男がいた。
馬は男ではなく、男の息子に憑いてしまったという。
息子が神社へ参拝に出たとき、付き人に「馬の血が海のように広がっているためここから先には進めない」と言いだした。
しかし付き人には何も見えず、それを伝えても息子には血の海が見えていたという。
結局神社に入らず、入口で手を合わせて終わってしまった。
すると息子は病に倒れ、「父が馬を大切にしなかったので畜生道に落ちることになった」と言い放ち、そのまま命を落としてしまったという。
馬の恨みが本人ではなく息子に行ってしまったという悲惨な話だ。

当時は馬の肉を食う事も馬憑きの原因になるとされていた。
馬肉を食う事も虐待の1つであると捉えられ、殺してしまった者よりも強く祟られたという。
馬肉が好物の男に馬が憑いたという話がある。
300もの馬を飼っていた男がいたが、死んでしまった馬の肉を食すことがあった。
味噌に漬けた馬肉は美味で、男の好物だった。
これまでは事故などで死んだ馬だけを食っていたが、あるとき、無性に馬の肉が喰いたくなってしまう。
しかし死んだ馬がいなかったため、男は老いた馬を殺して食ってしまった。
すると男の夢の中にその馬が現れ、喉に食らいついてきた。
悪夢にうなされる毎日であったが日を追うごとに内容がひどくなり、遂には馬が男の口から腹の中に入って荒らすようになったという。
腹を馬に荒らされるのは想像もできないような激痛を伴い、男は苦しみ続けるばかりであった。
祈祷師に頼んでも効果はなく、やがて苦しみ続けて100日ほどで死んでしまったという。
自分の食欲の為に殺された馬が憑いたものであろう。

役に立つときには可愛がっても、老いてきたり使い物にならないと判断すると簡単に馬を殺してしまう者が多かったのも理由だろう。
昔に限らず現代でも生き物を粗末に扱う者はいる。
馬だけでなく、猫でも犬でも、人の手で苦しめられたものは怨霊の類になるのかもしれない。