タイタニック号にまつわる都市伝説

事故を14年前に予言!?

1912年4月14日、北大西洋上で沈没した豪華客船タイタニック号の悲劇は、史上最大級の海難事故として、またジェイムズ・キャメロン監督の映画の題材としても広く知れ渡っているところである。

イギリス・サザンプトンからニューヨークへ向けての航海中に氷山に激突・沈没し、1,500人以上の犠牲者を出すに至ったこの海難事故は、実は出航以前からさまざまな不吉な影がつきまとっていた。その中でもっとも知られている事例のひとつは、タイタニック沈没より14年も前に書かれた一編の小説『フューティリティ(無益)』である。
豪華客船「タイタン号」が大西洋上で氷山に激突し、大量の犠牲者を出すというこの小説は、タイタニック号事故を「予知」した物語として良く知られている。小説と実際の船の類似点を挙げてみる。

タイタニック号 タイタン号(小説) 排水量 66000トン 70000トン 全長269メートル 244メートル
総重量46000トン 52000トン 速力23~24ノット 24~25ノット
乗員数3300名 3000名 スクリュー3基 3基
救命ボート20隻 24隻
水密隔壁15 19

どちらも「不沈船」と謳われて大西洋に出航し、右舷に氷山と激突し沈没している。また、救命ボートが乗員数に満たないことが、悲劇を助長させた。これほどの現実との類似はそら恐ろしいものがあるが、1898年にこの小説を書いたモーガン・ロバートソンは、元々商船乗組員としての経歴の持ち主であった。この小説は、豪華客船が大型化・高速化していく現状を疑問視していた彼の鋭い洞察力の成果であると言えなくもない。とはいえ、この小説も警鐘して生かされることなく「無益」となってしまったのであるが。

煙突からのぞく亡霊

ロバートソンの小説以外にも、タイタニックには不吉な影がつきまとっていたと言える。「夢で沈没するのを見た」と友人や家族から乗船を引きとめられた者、理由もなく不安にとらわれて途中で下船してしまう者など、一部の人間は早くからこの不吉な影を察知していた。

4月10日にサザンプトンを出航したタイタニック号は、同月11日にアイルランドのクィーンズタウン港に入港した。ここで数人の乗客が、タイタニック号の煙突のひとつから、ススだらけの黒い男の顔がのぞいているのを見たと言って下船する騒ぎが起きている。一等船客7名が、わずか1日の航海でタイタニック号から降りてしまったのだ。タイタニック号沈没はこの時の亡霊のせいだと信じている者もいるという。

ただの噂なのか?「ミイラの呪い」

さらにもうひとつ、タイタニック号にまつわる不吉な噂として「呪いのミイラを積んでいた」というのがある。

1910年、カイロで発掘されたアモン・ラーの王女のミイラを、イギリス人エジプト学者ダグラス・マレーが買い取ったことが、事の発端である。ミイラをマレーに売ったアメリカ人は急死、マレーは狩りの最中に銃が暴発し腕を切断、マレーの友人も原因不明の死を遂げ、ミイラ運搬に雇ったエジプト人まで死ぬに至ってさすがのマレーも震え上がった。ミイラを処分しようとしたところ、ある富豪の婦人が名乗り出てミイラを引き取ることになった。しかしその直後に婦人の母親が急死、婦人自身も熱病で死にかかるやミイラをマレーに返すと言い出した。そこでマレーは、ミイラを大英博物館に寄贈する。だが博物館でも、ミイラの写真を撮ろうとしたカメラマンが急死、展覧会を企画したエジプト学者は開催日の夜に変死するという事態が続いた。

最終的に、「呪いのミイラ」はニューヨークの博物館が引き取ることに決まった。そして最も「安全」かつ「確実」な輸送手段として、タイタニック号に運び込まれたのである。ミイラの呪いは1,500人の命を道連れにして終焉を迎えた。
後に大英博物館は「ミイラがタイタニックに積み込まれた事実はない」と公式に声明文を発表しているが、しかしミイラはその後一度も公開されていないのである。

ちなみに、この「呪いのミイラ」事件を取材していたイギリスの著名なジャーナリスト、ウィリアム・T・ステッドも、タイタニック号と運命を共にしている。