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 1961年2月13日、アメリカ合衆国カリフォルニア州オランチャから10キロほど離れたコソ山脈から、石化した土に覆われた奇妙な物体が発見された。「コソ加工物」「コソの点火プラグ」と後に呼ばれることになるオーパーツである。
 その物体の具体的に何が奇妙だったのか。その物質を覆っている石化した土を慎重に割ってみると、なんと中からセラミック製とみられる機械の一部が露出したのである。また、その機械には直径にして数ミリほどの金属製の軸が通されており、X線写真などを使用して専門家が調査しところ「点火プラグ」のようなものであると判明した。
 ただの点火プラグがなぜオーパーツとなるのか。問題はそれを覆っていた物質にあった。この石化した土を地質学者が鑑定したところ、なんと50万年前のものである可能性が指摘されたのである。50万年前と言えば、人類がようやく火という概念を理解し、それを利用し始めた時代である。そのような時代にセラミック製の点火プラグなど存在するわけがない。現代の常識では全く考えられない、存在してはいけないオーパーツである。この話は瞬く間に世界に広がり、コソ加工物という名で多くの人に認知されるようになった。
 しかし、この鑑定結果に疑問を持った人々は少なくなかった。そして2000年になって「パシフィック・ノースウェスト・スケプティクス」という懐疑主義団体が発表したところによると、全米を代表する4人の点火プラグコレクターにコソ加工物のX線写真を元にした鑑定を依頼し、その結果として「アメリカのチャンピオン社が1920年代に制作した点火プラグに間違いない」というメーカー名まで一致した鑑定結果が発表されたのである。実際1920年代にはコソ山脈で大規模な採掘が行われており、その時に乗り入れていた作業車両のエンジン部分に指摘された点火プラグと同製品のものが使われていた可能性が指摘されている。
 では50万年前の点火プラグだという話は誰が発表していたのだろうか。実はこの鑑定結果、発見者の一人であるヴァージニア・マクシーという人物がそうであると主張していただけであって、学術的な証拠は何もなかったのあである。話題のインパクト性だけで爆発的に広まったもので、オーパーツとして扱われるにはあまりにも信憑性に欠ける話だったのだ。
 この点火プラグは発見された後1963年に博物館で数ヶ月の間展示されたという記録がある。後にスミソニアン博物館が引き足りたい旨を所有者に打診していたが、「2万5000ドル出さなければ手放さない」との主張を所有者が曲げなかったために引き取られることはなかった。現在では何枚かの写真が残されているだけであり、現物は行方不明となっている。
 しかし、車両のエンジン部分に使用されていた点火プラグだけが、なぜ山の中で化石化された土に覆われ発見されたのか。本当に1920年から発見された1961年の間に化石化するほどの環境だったのか。もし懐疑主義団体の発表の方が信憑性のない話だったとしたら、もし発見者の主張こそが真実だったとしたら。もし50万年も昔に火を利用し始めた人類が点火プラグなんてものを何らかの方法で手に入れていたとしたら。そんなことを考えてしまう人たちもまだ世界には多くいるのかもしれない。