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完全な球体に限りなく近い石球。現代の技術をもってしても高度な加工が必要とされる不思議な巨大人工物が、コスタリカの奥地で発見された。1930年代初頭、コスタリカのディキス川河口地帯に茂る熱帯ジャングルでのことだった。アメリカの果物会社が新しいバナナ農園をつくるために、派遣された作業員が原始林の開拓作業をしていた。すると切り払った雑草の影から、直径2mはあろう巨大な球形の石が姿を現したのだった。不思議に思った作業員たちがあたりを調べてみると、似たような石が大小さまざまなサイズで、地上からも地中からもどんどん出てくる。驚くことにそのどれもがほぼ完全な球形で、なめらかに表面が磨かれた人工物であった。このようなものがジャングルに無数にあることは、それまで地元民でさえ知らず、石の球に関する伝承もなかったという。

初めに科学的調査に乗り出したのは、アメリカのハーバード大学ピーボディ考古学博物館に勤める女性、ドリス・ストーンだった。仲間とともに現地調査を行った結果、発見時の石球は大小数十個で配列を成しており、図形や星座を思わせる意味ありげな並びをしていたことを報告した。だが、この配列は調査が進むにつれて乱されたので詳しい研究は進められていない。誰が一体なんのために、どのような技術で作ったまでかは不明のまま、ドリス・ストーンはこの石球を「世界に散らばる謎の人工物のひとつ」と述べたまでだった。

これらの石球の最大の特徴は、どれも真球に近いことにある。学者たちがあらゆる角度から円周や直径を調べたが、その測定結果でも完全な球体にきわめて近い数値をはじき出したのだ。製作者は完成する石球の大きさを綿密に計画し、幾何学についての高度な知識と成形技術を要していたとしか考えられない。やがて学者たちが製作者として提唱したのは、発見された地域にかつて栄えていたというディキス人だった。ディキス人は西暦300年~800年にかけて古代石器文化を築いており、他の文化とは一風異なる、非常に精巧な細工の装飾品も多く残している。しかも、権力者の墓跡からは小さいサイズの石球が発見されているのだ。だが、小さいサイズが作れたところで直径2mもの大石球が同じ技術で可能かというと異論の声があがる。製作物が大きくなると、技術はより精密な計算に基づかねばならず、重い石を削る労力も大変なものとなるだろう。「工具で長い年月をかけて石を削り表面をきれいに磨き上げたのだ」と学者たちは簡単に結論を出すが、実際に実験してみると毎回上手くいかずに終わるのだった。

ディキス人の栄えた時代は当然コンピューターも無ければ、切断加工機や回転台も無かったとされている。それどころか車輪もなく、せいぜい青銅石器か材木のいかだを使えた程度だとされている。球体の製作方法もわからなければ、初めに岩を切りだす方法や、各地に20トンの石球を運搬する方法も全てが謎めいているのだ。また、石球をつくる目的も、呪術道具・天文カレンダーの役割・神々の信仰の象徴などさまざまな憶測が飛び交っているが、どれも根拠がないまま現在に至っている。現在はコスタリカ国立博物館に展示されているのだがそれすら観光客誘致のためで、いまや貴重な文化遺産はずさんな扱いを受けているという。石球をめぐるミステリーの解明は今も停滞したままだ。