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アメリカはテキサス州のグレンローズに流れる、パラクシー川の石灰岩盤層。ここはアメリカ屈指の、恐竜の足跡化石発掘場所として知られている。州立恐竜渓谷公園に指定されており、訪れた人は川床の恐竜の足跡を自由に触ることができるのだ。化石発見のきっかけは20世紀初めのことだった。ハーバード大学のローランド・バード博士が調査に来た際、川床の岩盤上にいくつもの恐竜の足跡の化石を見つけた。博士は足跡ごと川床の石を大きく切り取ったのち、ニューヨークの自然史博物館で一般公開した。しかし、当時のバード博士のスケッチには「巨人の足跡」というメモとともに人間の足跡のスケッチも多く描かれていたのだった。

同じ川床に恐竜と人間の足跡が存在する。しかも人間の方は35cm~40cmもあり、身長は恐らく2mを越えるであろう「巨人」である。1910年ごろに発見されたこの事態に地元民はどよめいた。偽物の巨人の足跡を売りつける商売人まで現れた影響で一連のニュースはデマだろうという声もあがったが、パラクシー川の水位が下がると、やはり恐竜と人間の足跡はつぎつぎに発見されていったのだった。

恐竜と人間が同じ時代にいた仮説を、進化論学者たちは「あり得ない」と当然のように言ってのけた。それ対して、聖書の教えに忠実な創造論学者と言われる人々は「当然のことだ」と、まったく違う意見を述べた。なぜなら聖書の創世記には「天地創造以来、恐竜と人間は共存していた」「人間は巨人だったが、恐竜の絶滅後に小さな体へと堕落した」という記述があったからだ。見つかった足跡が巨人並みのサイズだったことも、創世記の内容どおりだと創造論学者たちは確信した。そのため1940年代には創造論学者らがグレンローズに訪れるようになり、1980年代からは本格的な調査が始まった。考古学者のカール・E・ボウ博士はパラクシー川沿いに博物館を建て、創造論を証明するべく発掘プロジェクトを開始したのだった。まずは何層にも重なった石灰岩を報道陣の前ではがし、恐竜と人間の足跡が出てくるのを公開してデマを払拭しようと考えた。

ボウ博士は川沿いのマクファル家の私有地を実験地に選び、この地をマクファル・サイトと名付けた。人間の足跡がもっとも見つかったのがその一帯だったためだ。結果、削岩機などで石灰岩層をはがす1982年の実験では、恐竜の足跡が40個以上、人間の足跡が10個以上も出てきた。発見済みの足跡をたどるように岩盤をはがすことで、新しい足跡を次々に見つけていったのだ。そしてそのうち1つの人間の足跡はかかと部分が踏みつぶされるような形状で、恐竜の足跡と重なっていた。これには地元メディアも騒ぎだし、恐竜時代に人間がいた証拠として大きく報道した。あり得ないと言っていた進化論学者もこれには否定できなかった。発見された足跡は指先も土踏まずもはっきり見てとれて、完全に人間のものだと、人体にくわしい解剖学者までも断定したのだ。また、バッテル記念研究所に勤めていた科学者ヒュー・ミラーのチームも別の方法で「人間の足跡」を証明した。発見された巨人の足跡と、現代人の足の形の比率を細かに測定し、類似度を算出したのだ。その結果、サイズは異なるが形は90%近くも相似していた。

多くの学者が認め進化論学者までも屈した足跡のミステリーだが、生物の進化過程から考えて「恐竜時代に人間がいた」ことは果たして真実だろうか。もしかしたら人間そっくりの2mの大型二足歩行生物が、恐竜時代に闊歩していたのかもしれない。どちらにせよ、われわれがまだ辿りつけない未知の真実が、地中には今も眠っているのだ。