エジプトに伝わるツタンカーメンの呪いの話はご存じだろうか。ツタンカーメン王の墓を発見し、その開封に立ち会った調査隊のスポンサーや、考古学者たちが次々と謎の死を遂げたというものだ。これに関しては、実際に死んだのはスポンサーだけで、残りの犠牲者はマスコミのでっち上げだという説もある。

ツタンカーメンの呪いが事実かどうかさておい、日本にもそれに似た話がある。その場所は奈良県の高松塚古墳。のちに国宝に認定される極彩色の壁画が見つかったことで、発掘当時は大いに話題になった。被葬者はまだ不明だが、墓という部分もツタンカーメンの呪いと共通している。

そして何より、この古墳発掘に関わった人たちは、恐ろしいことに最低でも4人が亡くなっているのだ。こちらはマスコミのでっち上げではない。すべて実際に起きたことなのだ。

1970年(昭和45年)明日香村の村人が生姜を保存する穴を掘っていたところ、穴の奥から古い石材が見つかった。これを機に高松塚古墳の発掘が計画された。

発掘に人一倍情熱を注いでいたのは、当時の明日香村の観光課長をしていたMさん。Mさんは発掘費用を捻出するため、文化庁や財務局に必死でかけあっていた。発掘計画が順調に進んだのは、この人の功績が大きい。

高松塚古墳の発掘は、1972年(昭和47年)の3月から始められた。ここで被葬者の呪いが一気に解放されたのか、次々と死者が現れ始める。最初の犠牲者はやはりMさん。発掘と同時に持病の肺ガンが悪化して、2ヶ月後の5月21日に病死してしまった。

そして同年8月23日。今度は高松塚古墳の近くに住んでいるKさんが病死した。Kさんは以前に古墳の周囲を掘り返してしまったことがあるそうだ。その日から体が衰弱していき、あっという間に死んでしまったらしい。

続けて生姜穴を掘っていたことから、高松塚古墳が発見されるきっかけをつくった村人が、謎の農薬自殺を遂げる。さらに1974年(昭和49年)1月、高松塚古墳の壁画を復元、模写した日本画家のスタッフの1人が交通事故で死亡した。

呪いといえば確かに眉唾ものだが、関係者ばかりが立て続けに4人も亡くなっているのだから、偶然にしてはタイミングがよすぎるともいえる。そんな高松塚古墳は、近鉄吉野線の飛鳥駅を降りたところの飛鳥歴史公園内にある。むやみにどこかを傷つけてしまうと、呪われてしまうかもしれないので気をつけよう。

奈良県高市郡明日香村大字平田439
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