函館前駅から谷地頭行きの市電に乗ること約12分。終点の谷地頭駅から西に向かって15分くらい歩けば、函館市の夜景を一望できる函館山のふもとにたどり着く。そこにひっそりとたたずんでいるのが碧血碑(へっけつひ)だ。

休日は数人の観光客が訪れているが、あたりは静かな林が広がっているだけなので、基本的に寂しい雰囲気も漂う。市街地からも離れているので、深夜になるととても暗い。心霊スポットとして肝試しに来る人間もいるようだ。

このような寂しい場所を訪れる観光客のたちの中には、新撰組のファンが多い。碧血碑とは新撰組副長である土方歳三をはじめ、旧幕府軍の戦死者約800人を弔った碑なのだ。

1868年(明治元年)、明治政府を樹立した新政府の軍勢と、旧幕府勢力の軍勢が激突する戊辰戦争が勃発した。この戦争は2年間続き、最後の決戦の舞台が蝦夷における旧幕府軍の拠点であった函館だった。もともと新政府軍のほうが戦力で上回っていたので、旧幕府軍はじわじわと追いつめられていく。降伏勧告が出されても旧幕府軍の土方歳三や、中島三郎助といった士官クラスは受け入れず、死を覚悟して最後まで戦い抜いた。それだけを聞けば武士の高潔なる精神を感じるが、死ななくてもいい戦死者を出す結果になったのもまた事実だ。自軍の敗走兵と合流しても「逃げるものは斬る!」と無茶な言葉を発していたらしい。

こうして旧幕府軍は函館の地にて敗北、戊辰戦争は終結した。函館の町や山は、両軍の無数の死体で溢れかえっており、文字通り市の町と化していた。その中にはもちろん、土方歳三や中島三郎助のものもあった。しかし新政府側「賊軍を弔ってはならない」と言って、旧幕府軍の死体だけは放置させたままにしたのだ。

「果敢に戦って死んでいったのに、それはあまりにもむごい」ということで、柳川熊吉という任侠の男が打ち首覚悟で死体を回収し弔った。当初は実行寺という寺で埋葬したのだが、やがて函館山の土地を買い、そこに墓を移した。こうして1875年(明治8年)、函館山に旧幕府軍の戦死者を弔う碧血碑が建設されて現在にいたる。

この場所は土方ファンにとって聖地ともいえる場所だが、前述の通り肝試しに使われることもある。上官の命令に逆らえず死んでしまった兵たちの霊が現れるのか、夜には森の中から男の「う、うう・・」という苦悶の声が聞こえたりするらしい。

北海道函館市谷地頭町1
41.751786
140.708813
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