神奈川県鎌倉市小町3丁目10 東勝寺跡

東勝寺跡 腹切りやぐら

鎌倉でも、「高時の腹切りやぐら」は、本当に怖い心霊スポットとして知られている。「やぐら」というのは簡単にいえば鎌倉時代の墓地で、山のふもとあたりを掘って、そこに五輪塔などを建てたもの。高時とは、鎌倉時代最後の執権北条高時のことである。1333年、鎌倉幕府滅亡の際、新田義貞軍が鎌倉に攻め寄せてきて、北条軍は敗走し、最後に北条一族ら残党が東勝寺のやぐらに集まって、とうとう終わりの時を迎えた。その数約870名と言われる。
「殿、ご最後でございます。お覚悟をお願いいたします。新田義貞に討たれるよりは、いさぎよく自刃を」と、家来に促され、北条高時はいったん自刃しようとしたが果たせず、他の部下たちが「お先に」と次々に自刃していった。北条高時もついに観念して見事自刃を遂げる。そして、北条一族は次々に自ら命を絶っていったのだった。
それだけ多くの人々が無念のうちに命を絶った「高時の腹切りやぐら」には、当然のことながら、成仏しきれない霊がたくさん残っていることだろう。苦しみや恨みなどの名残も残っているはずである。このやぐらからは、夜中などに人のうめき声や悲鳴、泣き声などがいまだに聞こえるのだという。滅び去った北条一族の無念と恨みの念がこの場所にこもっているのだろうか。
このやぐらを訪れると、昼なお薄暗く、なんとも言えない気味の悪い雰囲気が漂っているのが分かる。やぐらから外を見ると、木々の茂った向こうに空が広がって見える。北条一族が最後に見た風景は、どんなものだったのだろうか。足利幕府はここに塔を建てたりして北条一族の霊をとむらったが、彼らの迷える魂が救われるということはなかっただろうと思う。
今でも、霊感の強い人がここに入ると、ぞくぞくとして、強い霊気を感じるのだそうだ。犠牲者の数が普通ではないから、当然のことだろうと思う。霊に好かれやすい人だと、落ち武者の霊にとりつかれてしまう可能性があるので、あまり近づかない方がいいかもしれない。武者たちの霊が出るというのも当然だろう。
鎌倉のやぐらの写真をたくさん撮っているという人が知り合いにいたのだが、その人が言うには、高時の腹切りやぐらの写真を撮ろうとしても、どうしてもちゃんと写らないのだという。なぜだか写真がぼやけてしまうのだそうだ。他のやぐらはちゃんと写っているから、なぜだか分からなくて気味が悪いとのことだった。カメラの調子とかも別に悪くはなく、ともかくその場所はちゃんと写らないということらしい。やはりこれも霊の影響があるのだろうか。
東勝寺あとから宝戒寺まではすぐで、ここにも北条一族は供養されているようだ。高時の腹切りやぐらまで来るには、鎌倉小町のほうから若宮大路を渡って、源頼朝の墓などのある方向にあるいて行く途中あたり、と考えるといいだろう。宝戒寺のあたりは、鎌倉時代には北条氏の館があったのだそうだ。北条氏の鎌倉時代の繁栄と、その悲劇的な末路について知るには、このあたりを歩いてみるといいと思う。宝戒寺はそれほどでもないが、東勝寺あと、それから高時の腹切りやぐらへ向かうときは、かなり霊気が強くなってくるので、敏感な人は気をつけた方がいいだろう。落ち武者の霊にとりつかれないように、気持ちをしっかり持ってこの心霊スポットに出かけるようにしよう。高時の腹切りやぐらで霊気を感じたり、泣き声や叫び声などが聞こえるような霊感の強い人もいるので、くれぐれもお気をつけて。