鳥取県鳥取市東町2丁目 鳥取城跡

鳥取城跡

1.惨劇の歴史・鳥取城跡
鳥取城は、鳥取県鳥取市にある日本の城で、現在は山城跡である。別名、久松山城。
戦国時代、織田信長の家臣・羽柴(豊臣)秀吉と毛利軍との戦いがあった。
中国攻めとも鳥取城の兵糧攻めともいわれている。
山城跡には天守台、復元城門、石垣、堀、井戸が残っている。
各自治体などで作っているキャラクター(ゆるキャラ)が多いが、鳥取市教育委員会がイメージ・キャラクターを公募して決定したのが「かつ江さん」だった。
あまりにもシュールであり、粗末な着物姿で痩せ細った顔の女性がカエルを握りしめている姿は強烈な印象を植えつけた。
鳥取城の「渇え(かつえ)殺し」の歴史が分かるという点が評価され優秀賞に選出された経緯があるが、2014年7月にホームページで公開されると、あまりにもキャラクターが強烈すぎて誤解されかねないという苦情が多数寄せられた。その後、キャラクターはお蔵入りとなったが、「渇え(かつえ)殺し」が全国的に有名になったことは間違いない。

  1. 地獄絵図「渇え(かつえ)殺し」 「餓鬼のごとく痩せ衰えたる男女、柵際へより、もだえこがれ、引き出し助け給へと叫び、叫喚の悲しみ、哀れなるありさま、目もあてられず」 信長公記に記されている、「渇え(かつえ)殺し」の惨状である。 羽柴秀吉は鳥取城攻略のため、大軍で包囲した。外堀を埋めるだけでなく、秀吉は相場の数倍という値で周辺の米をすべて買い取り、飢えさせる方法をとった。 当然、城下では騒乱が起こり、大勢の人々が鳥取城へと逃げ込むこととなる。 食糧がないまま籠城が続き、牛や馬、雑草までも食いつくし3ヶ月が経つ頃には餓死者が出るようになった。 生きるための本能だけが残った城下の人々は、転がっている人間の肉を食べ始めた。 人が人を食うほどの飢餓状態は、羽柴秀吉の作戦とはいえ地獄絵図である。 なかには、まだ生きている人間の肉を削いで食べたとの記述も残っている。 城内の人々は、4ヵ月後には降伏。 援軍が来ると想定したが来なかったこと、場内の米を抑えられていたことにくわえ、城内の食糧は20日分ほどしかなく、4ヵ月も籠城した果ての惨劇は終わりを告げた。 手足は棒のように細く、飢餓状態のため腹が異様に膨らんでいた。 城内の者たちは秀吉の軍からの炊き出しを受けるものの、体が炊き出しを受けつける状態ではなく、そのほとんどが食べ物を口にしながらもすぐに吐き出し、消化不良で死んでいった。 「太閤記」で書かれているように、高松城水攻めのあとに秀吉が、おかゆではなく重湯を飲ませないと死ぬという趣旨のことを言うが、これは「渇え殺し」の失敗から得た教訓である。

3.今でも聞こえるうめき声とさまよう霊
鳥取城跡では、落武者の霊や着物姿の女性の霊が現れるという噂がある。
また、夜になると「うーっ、うーっ」という、うめき声が聞こえるという。
どの方向から聞こえるのかがはっきりせず、あちこちから声が聞こえるという証言もある。
鳥取城の廃虚には食人鬼が現れるという噂があるのも、「渇え殺し」を連想させる。
インターネット上では地元住民からの話も聞ける。
「城跡で火縄銃の空砲を撃つイベントがある。毎年その日は電波障害が発生して写真を撮ると変なものが映る」という。
鳥取城跡は、普段はとても静かなところで心霊スポットとは無縁のようだ。
しかし、日が落ちてからは密集した木々の間から人の顔が見えることがある。
ただ、じっとこちらを見ているだけで、まるで身を潜めているかのようだという。