東京都大田区羽田空港1丁目 環八通り

羽田空港大鳥居

【羽田空港大鳥居】

羽田空港大鳥居(はねだくうこうおおとりい)とは東京都の羽田空港付近に存在する鳥居の事である。

実はもともと、この鳥居は羽田空港の敷地内にあったのだが
ある「祟り」のため、長らくその撤廃はおろか、移転すら叶わなかったのである。

はじめに事件が起きたのが、西暦1945年9月の事。
日本の敗北により先の大戦が終了した後
GHQが羽田を国際空港にする計画を立案。
計画に着手するために、この場所にあった数多くの神社を撤廃しはじめた。
しかし、他の拝殿や他の鳥居は撤廃できたのだが、この大鳥居を取り壊そう時に不可解な事故が発生した。
アメリカ軍の工作部隊が大形のジープ数台でこの鳥居にロープをかけ、一気に引き倒そうとしたのだが、その瞬間にワイヤーロープが切れてしまい、ジープ事横転。それに乗っていた作業員数名に怪我人が発生した。

また、これを切断しようと赤鳥居の上で作業していた米兵が、鳥居を切ろうとした瞬間に落下。何度ためしても、必ず事故が起きたとされている。

また、赤鳥居を撤去したようとした日に限り、米軍の飛行機の機器に不良が起こるという異常事態が何度も発生。

これにはさすがに米軍も恐れを無し、日本の土木業者に異例の高額報酬で依頼。
金に釣られてこれを引き受けた業者も、結局作業事故が連続し、結局倒産してしまった。

そのため、米軍は結局この鳥居の撤去を断念し、大鳥居だけが残さたまま、空港が建設されたのである。

しかし、1972年になると、今度は空港拡張計画が持ち上がり、再びこの赤鳥居の撤去することが決定した。
しかし、その決定が下された直後、あの有名な日航機の墜落事故が発生。
これに怯えた経営陣は急遽撤去計画を中止。
それ以来、毎月3日には会社幹部が穴守稲荷に参拝し、穴守稲荷のお札を 本社内 整備場 旅客機 ヘリコプターなどありとあらゆる場所に御札を貼り続けられたと言われている。

やがて、1990年になると、やはり空港の拡張工事を行う必要性が出てきたのだが、この時に鳥居は見事移転され、ようやくその祟りが治まったとされている。

しかし、こうした祟りの背景には、羽田空港建設にまつわる悲しい歴史が関わっている事を忘れてはならない。

昭和20(1945)年9月21日の、基地の整備を急ぐ米軍は、土地の明け渡しに反対していた鈴木町、穴守町、江戸見町の住人に対して、24時間以内にこの土地を明けわたせという、緊急命令を下した。
しかし、これにはさすがに住民は反発したのですが、結局、僅かにもう1日の時間延長、都合48時間の退去期間を勝ち取るに留まってしまった。

そして緊急命令が下されてから48時間が経過すると、退去地域に通じるあらゆる道に米軍の憲兵(MP)が交通規制を掛け、家に戻ろうとする住民がいれば、威嚇射撃を行うなど、かなり手荒な手法で土地の強制接収を成功させた。
そして、住民が退去したこの土地は一夜にして破壊されたのだが、その時、この鳥居だけが唯一破壊されずに残ったのである。

そう考えれば、この土地を追い出された人々に代わって、唯一米軍に抵抗したのがこの鳥居だったとも言えなくもない。

その強い思いが、呪いへと姿を変えてしまったのだろう。
空港が建設され、米軍が撤退した後でも続き、ようやく平成に突入した事をきっかけで、鳥居自体がようやく呪縛から解き放たれたとも言えなくもない。

今もなお、この鳥居はその姿を羽田空港の傍に置きながら、この土地を見守り続けてくれているのかもしれない。