千葉県勝浦市大沢

おせんころがし

昔、この崖の近くの豪族古仙家にいた、おせんという一人娘が名称の由来とされている。おせんは、村人を苦しめる強欲非道な父親を改心させようとしたが、改心は無理と悟り、この崖から身を投げたと言われている。霊的な噂としては、心霊写真がよく撮れる場所であるや、謎の体調不良が起きると噂されている。

1.「おせんころがし」という名前

千葉県の心霊スポットでも、その名称から記憶に残るため、すぐに名前を挙げられるのが「おせんころがし」である。「おせん」という名前の娘にまつわる話であることは想像がつくが、それが名称になっているところをみると、かなり前に心霊スポットになる出来事があったということになる。
まず、おせんころがしという場所を正確につかんでみよう。
場所は千葉県勝浦市大沢。高さ数十メートルの断崖の中腹に旧国道が通っている。勝浦市から鴨川市にわたっての約4キロの海岸の通称であるが、「おせんころがし」の碑は勝浦市にある。

2.悲しい「おせん」の伝説

昔、おせんという娘がいた。
土地の豪族・古仙家の娘である。父は金の力ですべてを掌握できると思い込んでいる強欲非道であり、村人に対する日々の仕打ちは鬼のようであった。
娘のおせんは父の極悪非道ぶりを嘆き、また、これを止められるのは自分しかいないと決意。村人と一緒に父親の説得に向かうが、父親はこれを拒否。
前途を悲観したおせんは、崖から身を投げて父親へ改心を求めた。
これが、おせんころがしという名前の由来になった、おせんの伝説である。

3.もうひとつの「おせんころがし殺人事件」

1952年(昭和27年)10月11日、千葉県小湊町(鴨川市)で、おせんころがし殺人事件が起きる。
栗田源蔵という男が、次々と強姦殺人をしてはおせんころがしの崖から遺体を遺棄した事件である。
貧乏な家庭に生まれた栗田源蔵は、幼いころから夜尿症が治らなかった。年頃になり、小学校へ上がっても治らず、また軍隊へ入隊しても治らなかったため、周囲から疎外され続けた。
終戦後に、栗田源蔵は北海道の炭鉱などで荒くれの生活を送るようになり、その粗暴さにも拍車がかかっていった。
栗田源蔵は、1948年に静岡で交際していた女性二人を殺害し、ここから連続殺人に発展していく。
1951年8月8日、栃木県で主婦を強姦しながら絞殺、死姦した。
10月10日には千葉県勝浦で母子4名につきまとい、長男と長女をおせんころがしから突き落とす。母親を強姦、背負っていた次女ごと投げ落とした。崖の途中で助かっていた母子を石で殴打し殺害。長女だけは何とか助かった。
1952年1月13日、千葉県検見川町で主婦と叔母が殺され、主婦は死姦された。
合計3件6人殺しで起訴され、勝浦と検見川の事件だけで死刑判決を受け、栃木の件で二度目の死刑判決を受けるという、日本で初めて二度死刑判決を受けた死刑囚となった。
このような残忍な殺人に走った原因は、欲情する度に激昂しては女性をいたぶるという性癖にあった。9歳の頃「女と寝る時は叩いたり、締めたりすると、とてもいいぞ」と老人に言われたことが、栗田源蔵の性癖を決定づけたといわれている。これは、のちに本人が出版しようとしていた日記に書かれている。

  1. まつわる話が混同してできた「都市伝説」

前述の2つの話と、おせんころがしという特異な地名から、その関連性が疑われ、話が混同して都市伝説を作り上げた。心霊スポットとして伝えられている話の多くは、「自殺や事件などが頻繁に起きるといういわく憑きの場所」とされているが、おせんころがしもいつしか自殺の名所といわれるようになった。
切り立った崖という立地のため、強風が吹きやすく、足元が危険であるために事故で転落してしまうこともあるらしい。
場所柄、転落はすぐに自殺として噂され、いわくつきの場所につくりあげられた経緯がある。
また、おせんころがし殺人事件の犯人であり死刑囚の栗田源蔵が、のちに「おせんころがしで殺した女性が、子供を連れて泣いている夢を見る」と告白したことも、心霊スポットになった原因でもある。