霊幻道士はいい

この映画のもっとも重要な魅力は、ホラー要素ではなく、むしろコメディー要素のほうにあると言っても過言ではない。人間の見せるさりげない貪欲さ、汚さが、社会的な皮肉にまで発展し、ある種、因果応報の思想を反映させて展開していき、やがては悪なるもの、邪悪なるものが退治されて収束するという要素を根底に置きながらも、あくまで表面的には、他者と他者とのコミュニケーションのずれが生み出すさりげない笑いが、この映画の大きなポイントと言える。
そして、道士(道術―道教の術の一種―を極めたエキスパート)と、頼りない弟子たちによって、展開される事件の数々がこの映画の主軸に据えられている。
道士は、熟練した技術や経験を持っており、また常に冷静沈着、ある種、頑固であったり、幽霊に対して、極度に冷徹な面を見せたりすることもあるが、時々見せる人間的な優しさが道士の多面性をあらわにし、それが師弟関係の側面から、多様なアプローチを可能にしているといっても過言ではない。それに反して、弟子たちは、非常に単純で単一的、人間的な多面性、深みはないかもしれない。しかしこの弟子の単純な笑いも映画ではなくてはならない要素となっている。
道士と弟子、その複雑性と単純性の混在が、あらゆる事件の狭間で、ある形となって立ち上がり、それが我々を思いがけないところに連れて行ったりすることもあるのだ。その意味で、道士と弟子との駆け引きが、思いがけない多様なものを見せてくれるかもしれない。
キョンシーという妖怪を題材としながらも、道士と弟子との人間関係や、社会のアイロニーを含んだ視線、雨月物語(この映画は、雨月物語のパロディーを意識している部分もある)などの古典と触れ合う楽しみなどの深みを味わうことが出来る。

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