今のゾンビ映画に影響

ゾンビで有名なロメロ監督の映画の、リメイク作品です。
全体の展開なんかは今のゾンビ映画に影響を与えまくってる、というかそのまま真似されているので、この映画を初めて観た気がしない人も少なくないでしょう。
ただし、この映画で凶暴になる人々は、正確にはゾンビではありません。
文字通り「クレイジーズ」、つまり、なんだか人が殺したくて殺したくて、その膨らむ気持ちを曲にして歌ったり、絵に描いてみたり、2ちゃんねるに書き込んでみたりするのでは解消できず、ウッカリ有言実行してしまう人々です。
なあんだ、結局ゾンビ映画じゃないか、と思う方々。
みなさんはゾンビに対して何を求めるのでしょうか。
ゾンビのゾンビであるが故のチャーム(魅力)とは、「人肉を元気いっぱいモリモリと食事する楽しさ」「頭に銃で涼しい風穴を豪快に開けられる茶目っ気」「一人では何もできないけれど、みんなで力を合わせることで街を壊滅するぐらいはできるんだ、という団結の大切さ(毛利元就と三本の矢のエピソードの、ハリウッド版)」ではないでしょうか。
ところが、この映画のクレイジーズ共ときたら、食事はしない、死人じゃない、一人でもそれなりに強い(教訓にならない)と、お話になりません。
お前ら、それでもロメロ爺の息子か!と恫喝したくなります。
ゾンビが好きで好きでたまらない息子。
そんな息子のために、DVDショップでゾンビ映画を探すお父さん。
「店長、イキの良いゾンビ映画ないかな?」
しかし、店長は名作コーナーを潰してK-POPコーナーを増設するような軽薄な男だったので、ゾンビ映画のロマンなど理解するはずもありません。

息つく暇もない

ジョージ・A・ロメロ監督の『ザ・クレイジーズ/細菌兵器の恐怖』を現代風にリメイク。

冒頭の、和な町で野球をしていると突然ライフルを持った怪しい男が侵入してきて…と出だしからぐいぐい引き込む力があり、車の爆破や喧騒後の異常な町並みをCGにあまり頼ることなく本物を使っているので生々しくインパクトがある。

だけど、いかんせん自分が最も苦手な不安を煽りに煽って大音量で脅かしてやろうという演出が本当に辛い。例えば死体に囲まれた中追ってきた異常者をやり過ごしたと思ってからの急に手がのびる瞬間のバァン!という効果音とか。しかも大音量演出がひとつふたつだと我慢もできるが全編に渡って繰り広げられると辟易とするというよりショック死しそうになる。確実に寿命縮んだ。

それと展開が、んなアホな、と思うほどご都合主義でとんとんと進んでいくこともいただけない。ストーリーが薄くなるしこういったシチュエーションパニックはリアリティーが重要に思うのだが。もう少しネタを減らすか尺を長くすればもっと深みが出来たのだろうけどそうすると映画の毛色自体が変わりそうだし難しいところなのかな。

だけど冒頭の掴みはオッケーから始まり、息つく暇もないほどストーリーは突き進むので全くだれることはなくあっという間に魅せてくれます。まぁいうなればよくあるハリウッド的なアクションパニックものです。

進めば進むほど存在感が無くなる主人公ですが、周囲のクレイジーっぷりへのリアクションしか見せ場が無いので仕方ないか。

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