エクソシスト3「茶番」であった。

この「エクソシスト3」で起こる事件のすべては、パズスが己を一時的であれ封じる事に成功した神父ダミアン・カラスに敬意を表し、「返礼」としてカラスの魂に見せつけるための「茶番」であった。
映画「エクソシスト(1+3)」はホラー映画の形を借りた、ある人間の苦悩と成就を描いた物語なのである。
その伏線に気づくためにも、是非とも前作はインパクトに偏重したオリジナル版ではなく、「観察者」であったキンダーマン警部と、彼に重要な示唆をもたらすカラスの友人ダイアー神父との交流の端緒を描いた「ディレクターズ・カット版」の鑑賞を勧めたい。
前作でカラスへの近づきに使ったキンダーマンの「手札」が片っ端から無碍にされるシーンがある。
ディレクターズ・カット版では、性懲りもなく同じ手口でダイアー神父に近づき、今度は意を得て友人としての交流が始まる…これを知らずして本作中盤の衝撃は解らず、感情移入もできまい。
映画としてのブラッティという人の手腕に疑問を呈する意見も本作には散見されるが、それを補って余りある「蓋然性」を本作では感じ取れる。
フリードキンが飽くまで「悪魔払いとは何なのか」をエンターテインメントとして追及しようとした。
1から2に対し前作と本作では本来原作者が書きたかった「ある男の人生」が浮き彫りになる。
私はこうであってこそ、「Exorcist」というタイトリングの
必然性を感じるのである。
フリードキンの描きたかったものをより深く理解するためにも「2」を観たいとは思うものの、「悪魔祓い師」という名の小節/映画にするのであればやはり焦点はこちらが正当だと思う。

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