ケーブルガイの孤独感

この映画面白いんですけど、一つ気になる事があって、表面的に観ると、テレビをベビーシッター代わりに育った孤独な少年が時を経て配線工になり、友達欲しさに主人公に親切にするが、その友情関係が解消された時、陰湿な嫌がらせに転じる。そしてそのケーブルガイの孤独感みたいなものも表現され、ちょっと悪役に同情を誘う印象すらある。

いや、別に全然良いと思います。ただ、シナリオに文句があって、この映画の内容は、主人公に親切にしていた事柄の数々が、裏切られた時の為の仕返しに持っていける“しかけ”になってしまっている、というのが問題なんですよ。

どういう事かというと、例えば、主人公にプレゼントする数百万ぐらいしそうなオーディオセットも、後半で盗品だという事が明らかになる訳ですが、どういうつもりで盗品をプレゼントしたのか。裏切られなかったとしたら、どうするつもりだったのか。その真意でこの映画の良さが変わると思います。

ケーブルガイが、基本的に裏切られる前提なんですよね。

買った女と遊んでいる姿を写真に撮っていたのは、その時点ではもはや主人公が冷たくあしらっていたので、裏切られる事を予期していたというのはまだ理解できるんですけど、オーディオプレゼントの段階は早すぎなんですよ。あの後、わざわざ主人公の彼女を狙う男を親切心でボコボコにしにいきますから。まだ裏切る裏切らないの前に、主人公に尽くしている段階ですからね。あの段階で仕返しの伏線張るのは有り得ないですよね。というより、この映画が成立しないです。

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