明王朝の墳墓から出土したスイス製腕時計型指輪

明王朝の墳墓から出土したスイス製腕時計型指輪

2008年に中国南部の広西チワン族自治区上思県で、明時代の墓を発掘中に出土した100年前の時計型指輪。
この指輪は文字盤のある腕時計の形をしており、針は午前10時6分を差して止まっていた。時計の裏面には欧文でスイスの文字が刻み込まれており、厚さは約2mmと推定される。時計部分は円形ではなく、上下が水平で左右が膨らんだトノー・タイプである。
出土状況は、南寧市にある広西チワン族自治区博物館の元学芸委員によると、棺の回りから土を取り除いた際に金属音と共に何かが落ちた。拾い上げて付着していた土を払うとそれは小さな時計でだったため、考古学者は衝撃を受けたという。北京から専門家が呼び寄せられ、ジャーナリストが写真に撮影した。なお、考古学者によると墓は未盗掘だったとされている。
明は1368年から1644年まで続いた中国の王朝で、発掘に携わった中国の考古学者は400年前の墓と考えている。これは1600年代初頭で、日本では関ヶ原の戦い後間もない時期に当り、江戸時代が始まったばかりだ。もちろん、当時の明やスイスでこのような腕時計型指輪は作られていない。
このニュースは2008年の12月、グーグルに「400年前の墓で見つかった100年前のスイス時計」として写真付きで掲載された。
この時計型指輪のニュースは物議を醸し、その正体について様々な憶測を呼んだ。
1.かつてこの墓を盗掘した者が落とした。
2.映画または宣伝用のやらせ。
3.過去か未来に行われたタイムトラベルかテレポーテーション実験の遺物。
4.全く説明不可能な物体。
5.捏造、でっちあげ。
グーグルのニュースには時計の針が差している時間がなぜ午前なのか、100年前の遺物とした根拠が示されていない点が指摘されており、記事は捏造だとする意見が多い。
腕時計はスイスの時計職人ピエール・ジャケ・ドローが1790年頃に製作したものが最も古いとされている。19世紀に入って主にブレスレットや腕輪の装飾として作られており、時計型の指輪もその流れに位置している。腕時計が普及するのは1870年代にドイツで軍用として発注されたのがきっかけであり、一般向けに商品化されたのは1900年にオメガが発表したものが最初だ。
腕時計型の指輪が作られたのは1890年頃。当時の腕時計の一例には、金とエナメルの本体にダイヤモンドがちりばめられており、厚さは18mmのものがある。トノー・タイプの腕時計は、現在でも高級腕時計のメーカーとして知られるロンジンが、1906年に初めて発売した。
スイスの時計メーカー、ヴァシェロンによると出土したタイプの時計型指輪は100年前に作られた可能性があるという。
もし、本当に100年前の時計だとしたら、墓に侵入した何者かの遺失物とする可能性が指摘されている。ちなみに、100年前といえば清王朝の末期でラスト・エンペラーの溥儀が即位した頃である。北京や上海、香港など主要都市はヨーロッパ諸国の租借地があり、中国には多くの欧米人がいたものの、居住地は限られていた。
ヨーロッパ人が持ち込んだ可能性は低いことから、金持ちの中国人による遺失物とする意見もある。いずれにせよ、西洋文化との接触が多い大都市から遠く離れた上思県の墳墓に、ヨーロッパで作られた時計型指輪のような希少な品を身につけた人物がどのような状況で進入したのか、それ自体が謎である。

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