バグダット電池 

1932年にバグダッド近郊のホイヤットランプファで発掘されたもので、現在のイラク、バグダッドで製造されたとされる土器の壺である。
その構造からこの壺が電池であるという意見と、そうではないとする意見が存在する。
民家遺構の中から出土し、呪文が書かれた3つの鉢と共に置かれていたという。

バグダッド電池は大きさは高さ約10cm、直径約3cm程度の高花瓶形の壺である。
粘土を焼いて作った素焼きの土器は上部がアスファルトで固められており、鉄製の棒が差し込まれていた。この壺の底には、何らかの液体が入っていた痕跡が残っていた。

1938年にイラク国立博物館の研究者ヴィルヘルム・ケーニヒ (Wilhelm König)の手によって「これはガルバニ電池の一種ではないか」とする論文が発表された。

その後、1978年に西ドイツのヒルテスハイム博物館で開催された「シュメール・アッシュール・バビロン展」で、「パルティア時代の電池と推定される器具」として展示されたことで世界中に広く紹介されることとなった。

レプリカを復元し実験をした結果、微量ではあるが電圧を発生させることに成功。
そのことからバグダット電池は「古代の電池」としてつかわれていたのではないかと見られたが、実験の結果発生した電気はごく微量であり、複数の電池を直列につないで金属メッキなどに使用したのではないかともいわれているが、電池をつなぐための電導ケーブルは現在のところ見つかっていない。連結のために使われたであろうケーブルが出土すれば、一気に電池説が有力になってくる。これからの発掘に注目したい。

実験のために復元されたバグダット電池は発電のために酸素が必要不可欠であり、発見当時のように壺の上部をアスファルトで密閉したままでは電気を発生させることができないという事もわかっている。アスファルトで銅の筒を密封して酸素の供給を絶つと、電池としての機能はすぐに停止してしまったという実験結果がでている。
またバグダット電池とよばれるこの壺が「電池はないか」と最初に指摘したケーニヒは、壷が作られた時代を紀元前250年頃のパルティア朝時代だと主張したが、ケーニヒの本職は考古学者ではなく画家であることも疑問視される理由のひとつになっている。

それではバグダット電池と呼ばれるこの壺、電池でなければいったいなんだったのか?
その疑問には、ともに発見された3つの鉢がヒントを与えてくれている。
鉢には呪文がかかれていたこと、出土した場所が民家遺構だったということから、祭事または呪術的な儀式に用いられていたのではないかと見られている。

壺の底に残っていた液体の形跡だが、現在の段階でもこの液体がいったいなんであったかなど、詳しい分析がされておらず、正体は不明のままである。
ぶどうジュースや硫酸銅、ベンゼノキノンではないかなど様々な憶測がされ実験も行われたが、これらの液体では電気を起こすにはいたらず、発電できてもすぐに停止してしまうなど電池としての実用条件は満たすことができなかった。

しかしバグダット電池が発見された地域は、かつてパルティア王国に支配されていた当時、薄い金箔をかぶせた宝飾細工の製作で知られていた。メッキには電気分解の技術が必要不可欠のため、金箔は手作業で薄くのばしていたと考えられてきた。
しかしバグダット電池が本当に電池として機能していたのであれば金メッキも可能であり、バグダット電池を再現した実験では金メッキの再現が成功している。

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