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魔法様(まほうさま)とは、日本の民間信仰の一つで、伝説上のタヌキ「キュウモウ狸」(キュウモウだぬき)を牛馬の守護神として祀る信仰の名称である。
同市中尾滝山の魔法神社、上田西黒杭の火雷神社(からいじんじゃ)細田の久保田神社(天津神社)などでキュウモウ狸は祀られている。
タヌキを祀る神社は日本各地にあるが、キュウモウ狸は、海外から来たとされる狸で、珍しい存在である。
『伝説』
魔法様こと、キュウモウ狸の伝説はこう語られている。
ヨーロッパや東南アジアから多くの船が来訪した頃、キリスト教の宣教師たちにまぎれてキュウモウ狸はやって来たという。
どこの国から来たのかはわからないが、人間に化けるのがうまく、住む場所を探し、日本中を放浪した際、当時すでに廃校となった銅山を住処としたのだった。
この住処を気に入ったキュウモウ狸は、人間に化け、稲作を手伝ったり、盆踊りを踊ることもあった。
キョウモウ狸は、人間に化けても、すぐに正体がばれる様な姿であったので、人間にばれると、「すまんすまん」と言って逃げて行ったのだそうだ。
ときには、木の葉を金に変えて、買い物をしたりして、店の人を困らせることもあったが、それ以上の悪事は働かなかった。
しかし、タヌキ狩りをする者がいると、怒り、そのタヌキ狩りをするといった者の家に放火したりしたが、人々はそれを見て見ぬ不利をして見逃していたそうだ。
ある時、突然キュウモウ狸は、村人達へ、自分がお世話になったと礼を言い、今後は、自分が牛馬を守るといい、火難盗難があった時には、知らせてくれる事を誓ったのだった。
そこで、村人達は、馬喰山に神社を建てることにし、キョウモウ狸を祀ったのだという。
また、別説によると、このタヌキは、悪戯がすぎたために、捕まえられて懲らしめられ、そのお詫びとして牛馬を守る事になったという話もあるという。
そしてもう一つの説は、かつて、南蛮の王合甚尾大王(おうごうじんびだいおう)が、悪逆を企て、日本へバテレンを差し向けた際に、それにまぎれて、キュウモウ狸とその子や孫達も日本にやってきて、各地で悪行を重ねたが、そののち、守護神となったという説もあるようである。
『信仰と神社』
・総社市槁にある魔法神社は、鳥居もなければ狛犬もない、変わった神社である。
この神社での伝説では、キュウモウ狸が来たのは、室町時代末期だったとされている。
この「魔法様」の魔法は、西洋でいう魔法の事ではないそうだ。
資料によると、この神社のそばに摩利支天の社があり、「摩利支天法」の摩と法が変化したものとされているようだ。
・阿賀郡呰部村(後の北房町、現在の真庭市)での魔法様は、キュウモウ狸とまったく関係ない説があり、その魔法様は摩利支天と同じものとされ、家や株内を鎮守する神とされているようだ。
吉備中央町(旧・加茂川町)の上田西黒杭にあるキュウモウ狸の社は、火雷神やしろとして後世残されている。
「魔法様」は地元民の呼び方で、「魔法宮」とも呼ばれている。
江戸時代には名が知られており、その由来は『備前加茂日本一狸由来記』に書かれている。
かつて、10月4日の縁日には、神社で牛馬を連れた参拝者で賑わったと言われているが、戦後にはその面影も失われ、平成以降にもなると、吉備中央町上田西黒杭の山間にひっそり社が建っているという。
そして、同町には通称「久保田神社」があり、現在天津神社と言われ、この社は、細田からこの地へと移されたものだという。
こちらの神社は、立派な作りになっており、狛犬ではなく、タヌキの焼き物が置かれている。
ここの裏には、タヌキの通り道とされる穴があり、油揚げなどが供えられている。話によると、火雷神社の使いのタヌキと、地元のムジナの間にできた子が魔法様なのだそうだ。