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百物語というものがある。
映画など映像作品でこの言葉を知っている方も多いかと思うが、これは江戸時代に流行したれっきとした遊びである。
大まかなやり方は蒸し暑い夏の夜に仲間で集まり、行灯に芯を百本灯して一人ひとり怪談を語っていく。そしてひとつ語り終えるたびに行灯の芯を一本ずつ抜いて消してゆき、百話目を話し終わって最後の芯を吹き消した時、この世の者ならぬ存在がその場に現れるというものだ。儀式めいた所はあるものの、納涼の遊びとして江戸の人々に良く親しまれた。
この時、細かな様式が決められている場合があり、会場で使用する行灯に青い紙を張ったものが使われることもあった。鳥山石燕の『今昔画図続百鬼夜行』によればこうして最後の灯を消したときに現れる怪異が青行灯である。
ただでさえ暗くなっていく灯りが青白いものであれば、参加者の気分も徐々に暗く恐ろしくなっていく。そうした心の隙を衝いて現れる非常に心理的な妖怪なのだ。
本格的な百物語は仕掛けも会場も大掛かりとなり、何日かに話しを分けて楽しむ場合もあったそうだ。
また江戸時代の怪談集『怪談老の杖』にはこんな話が残っている。
徳川の治世延享の頃、厩橋(群馬県前橋市)の城中で宿直の侍が眠気覚ましもかねて、やはり青い行灯の火を灯して百物語を行った。別室に行灯を置いて、話し手がそれを消してくるという肝試しを織り交ぜた趣向であった。そうして八十二話までは何事も無く進んだが、八十三話を語り終えた中原忠太夫という人物が行灯の間の襖を開けると、奥に白いものが見えた。よくよく目を凝らせばそれは天井から首をくくってぶら下がった女の死体であった。忠太夫は豪胆な人物だったので「これが百物語の怪異というものか」と騒ぐ事もせず、規則どおり灯心を引き抜いて部屋へ戻った。八十四話以降も話しは続けられたが、誰も女の死体の事を口にしない。
忠太夫は「やはり物の怪の類であったかと」胸中で思いながらも黙っていた。
やがて百話全てが語り尽くされた。
座中の筧甚五左衛門という人物が「これで仕舞いであるが、みな何か見たか」と声を出した。忠太夫がそれに答えて「実は八十三話目のときに見た」と言うと、その場にいた者が声をそろえて「首をくくった女か!」と叫んだ。
皆に見えた以上は一緒に確かめに行こうという話しになり、一行は行灯の間へ向かった。女の死体は未だ天井から下がったままだ。白無垢を纏った見たところ18ほどの女だが、このような場所に女が居るわけもない。この後どのような結末になるかと見守っているうちに夜が明け始めた。ところが明るくなっても女の死体は消えもしない。
困った忠太夫たちがまさかの事を思って、奥係を呼んで確かめさせたところ川島という中老の娘である事がわかった。ところが確認のために人をやったところ川島の娘は身体を壊してはいたもののきちんと生きており、その知らせを持って戻ったときには、天井の死体は綺麗に消え去っていたという。
後に川島中老は故あって首をくくって死んでおり、百物語の夜に現れたものはその兆しであったのだろうと言われた。
古にいわく「昏夜に鬼を談ずることなかれ。鬼を談ずれば怪いたる」とはまさしくこの様な怪異に遭遇する危険を戒めた言葉である。
このため百物語で百話全てを語る事を禁忌とする場合もある。
怖いもの見たさも結構だが、九十九話、あの世とこの世に風穴を開ける寸前まで行って帰ってくるのが賢明だ。
薄暗くなった部屋の片隅、話し手のすぐ後ろに今や遅しと待ち構えて、青行灯が佇んでいる。