死霊

仏教では、成仏しない魂が現世をさまよい、幽霊となって出現するとも言われる。この死んだ人の霊を、死霊と呼ぶ。特に、生きた人間の怨念が起こす心霊現象を「生霊」の仕業とした場合、生霊と区別して、死霊という語を使う。
怨みをのんで死んだり、非業の死を遂げた人の魂は、死霊に変化して、崇りを成すともいう。
仙台に、三人の娘がいた。上の二人が立て続けに、同じような死に方をしたので。家族も恐れていた。通夜の夜更けに、悲しげな呻き声が聞こえて来た。死んだ娘の顔が、赤黒い鬼のように変わって、睨んでいる。死んだ娘は、自分は7代前の先祖に殺された山伏の霊だ、と話し始めた。山伏が公金を携えて上方に旅した時、先祖の男と道連れになったが,男は山中で山伏を殺して大金を奪った。先祖の男は、その大金を元手に金持ちにとなったが、一片の供養の心もない。無念であったが、代々運勢が盛んで、この家に祟ることができなかった。偽りと思うなら、箪笥の奥に山伏を刺した刀がある、という驚くべき内容だった。更に、残った娘の命を助けたければ、相応の葬列を出せとも言うのだ。娘の親が承諾すると、娘の面相は元に戻った。ところが、葬礼を出すことができない。すると,また山伏の霊が末娘に憑いて現れ,呪いの言葉を口にする。震え上がった親は無理して、大げさな葬いを行ったが,結局、末娘までは数日後に死んでしまった。使用人も気味悪がって去り,家の中は荒れ果て、親夫婦も行方が知れない。当時、死霊に憑かれた娘の泣き狂う声が、近所にまで聞こえたという。死霊の崇りは、このように広く知られていた。
長崎の平戸に、病人が出た。高僧に尋ねると、「死霊様」の祟りだと言われる。野子の「死霊様」と呼ばれる塚があり、もともとは馬場先山の墓石を移したものだったという。昔、戦場で死者が出た場所ではないかとも言われた。
長野の伊那には、「川死霊」と呼ばれる幽霊が出た。川で水難事故が起きると「川死霊に取られた」と表現したという。川幽霊は、誰か一人を取り殺さないと、神様の弟子にはなれないとされたので、七人みさきのような怨霊だったのだろう。
佐久にも、以下の記録が残っている。享保年間、一人の行者が宿を探したが、どの家でも泊めてくれなかったので、行者は村はずれの崖から落ちて死んでしまった。間もなく妻が死骸を引き取りに来て、村の薄情さを罵り、呪ったところ、この村に病が流行った。そこで、行者の死霊を慰めるため、石塔を建てた。
病気の原因として、死霊を想定する例は、他にもある。滋賀の高島では、卒倒するのは死霊の祟りとも、トンボを殺した罰だとも言われた。
しかし、死霊は、残った家族を懷しんで出ることもあったようだ。沖縄では、死霊をマブリと呼んだ。死んだ母親のマブリが、息子を心配して姿を現わした。マブリが炊事をしてくれ、米をとぐ音が聞こえたという。母の死後、魂を身体から抜く行事であるマブリワハシをきちんと行わなかったからだと、息子が巫女に叱られた。
沖縄には、ムンという死霊もいたようだ。ムンから逃れるためにも、儀式が必要だったという。死霊に精を取られないように、葬儀にも力自慢の男が欠かせなかった。
愛媛では、死後7日目に死霊が来るといい、死人が寝ていた畳の下に青笹を敷くこともある。たとえ死霊が来ても、青笹の原になってしまっているといって帰った。
宮崎の東臼杵では、死霊が憑いた時は、太夫という民間宗教者に見てもらうこともあった。「ショウが憑いた」といわれ、神棚の前でお祓いをしてもらえば、治ったという。

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