隠神刑部

隠神刑部(いぬがみぎょうぶ)または刑部狸(ぎょうぶだぬき)は、、伊予国(現・愛媛県)松山に伝わるとされる化け狸である。
『証城寺の狸囃子』『分福茶釜』と並び、日本三大狸話の一つとして数えられている『山騒動八百八狸物語』にて登場することで知られている。
隠神刑部が登場する『松山騒動八百八狸物語』とは、1805年(文化2年)、享保の大飢饉に際して起こったお家騒動が実録物語『伊予名草』として書き下ろされたもので、そしてさらに、江戸末期の、講釈師の田辺南龍により、狸やら妖怪の要素を加えた会談話として仕立て上げられ、これが講談として広まったとされているようだ。
そのため、講談師の話の切り口しだいでは複数のバリエーションがあるが、話の大筋は大体下記の通りである。
『松山騒動八百八狸物語』
四国は、狸にまつわる民話や伝説が多いが、その中で特に松山の狸は、天智天皇の時代に端を発するほどの歴史を持っており、狸が狸を生んだ結果、808匹にもなった。その総帥が隠神刑部なのである。
隠神刑部は、久万山の古い岩屋に住んでおり、松山城を守護し続けていたという化け狐である。
808匹の眷属の数のことから、「八百八狸」(はっぴゃくやたぬき」とも呼ばれている。
そして、四国最高の神通力を持った狸だったともいう。
名前の「刑部」とは、松山城の城主の先祖から授かったとされる称号であり、城の家臣からは信仰され、土地の人々にも深い縁を持っていた。
松山隠岐守の時代の、お家騒動で、隠神刑部は謀反側に利用され、子分の狸たちに命じ、怪異を起こし、謀反側を助力した。
だが、怪談『稲生物怪録』で知られる「藩士・稲生武太夫」に、宇佐八幡大菩薩から授かった神杖により、隠神刑部は懲らしめられ、808の眷属と共に、
久万山に封じ込められたのだそうだ。
その洞窟は、今でも山口霊神として、松山市久谷中組に残されているのだという。
『松山騒動八百八狸物語の講談師による違い』
隠神刑部が稲生武太夫に倒された経緯にも、講談師によりさまざまな諸説がある。
・謀反側の若侍・後藤小源太正信が、謀反の邪魔になると判断し、隠神刑部を討ち取ったのだが、その際に、「今後、小源太の危機に隠神刑部が手を貸せば、隠神刑部には手を出さない」という不可侵条約を結んでいたため、謀反側が活動始めた頃に、隠神刑部は条約に従い、仕方がなく怪異を起こした。
武太夫が城下に現れた際、隠神刑部が武太夫の持つ神杖を恐れ、彼を敵に回さないように先手を打ち、化かしにかかったのだが、武太夫は、狸に化かされたことを知り、腹を立て、謀反側の敵に回ったという説。
・隠神刑部は、伝統を疎んじる当時の城主を快く思っておらず、小源太と親しくなって同盟を結んで、城主を潰すために活躍をした。
一方、謀反側を打倒するよう依頼された武太夫が松山へ乗り込み、隠神刑部のもとへ談判に向かったのだが、隠神刑部が謀反側に付いていることを知り、彼らを倒したという説。
・謀反側は、隠神刑部を騙して味方につけたのだが、さらに、謀反側は、隠神刑部を罠にはめる。仲間になった隠神刑部が、暗躍を始めたが、謀反側は、それを全て隠神刑部の仕業だと城主に告げ、隠神刑部だけが悪者に仕立て上げられた。
そこに城主の助っ人に呼ばれた武太夫に、隠神刑部は倒されてしまったという説。
※また、逆に隠神刑部が正義側に立って活躍するという話もあり、そこでは、謀反側に歯が立たなかった隠神刑部が、武太夫に助力を求めたという話のようだ。
このほかにも、いくつかのバリエーションがあるようで、武太夫が登場しない話もあるのだという。

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