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かまど神は、台所のかまどに宿り、火を司る神。火除けや火伏せの神徳があったが、「荒ぶる神」としても恐れられた。
「待問雑記」によると、かまどの火そのものを神と考えて、うやうやしく接しなければならなかった。かまどの火をけがすと、必ず災いが降りかかったという。
神道ではかまど三柱神を、仏教では三宝荒神、あるいは陰陽道の神である土公(どこう)神を、かまど神と考えた。広島では、かまど神は、その家が絶えたとしても、神は絶対にそこ場所からは去らないと言い習わされていたという。他人に土地の所有権が移った後、その地を耕やす場合でも、かまどの跡だけにはクワを入れてはいけないとされた。これは、元来が土の神だったという、土公神の性格なのだろう。
東北地方では、かまどの安全祈願のために掛ける「かまど面」として、不動明王やひょっとこの面を神棚に祠った。
荒神の像は、複数の顔の頭上に幾つかの小面を持つ三面六臂、または八面六臂で、悪を罰するため、目を剥き、髪を逆立てた怒りの表情を示している。不動明王のイメージも、この荒神に由来する。
一般には、火男やカマジンなどと呼ばれる、粘土か木製の、歪んだ表情だったり、コミカルな感じがする面を掛けることが多い。火男は、ひょっとこのプロトタイプとも言われ、片目を閉じていたり、半眼だったりするのは、鍛冶師が片目で火を見つめる様子とも、そのすぼめた口元も、火筒を吹くことから来ているという説もある。もともとは、かまどを組んだ際の残った粘土で、かまど面も作ったという。それが、大工や左官職人にまで及び、木製、漆喰製の面も作られるようになったらしい。岩手に、次の伝承がある。柴刈りに行った男が、穴の中に翁がいるのを見付ける。その翁は男に、風変わりな顔の子童を授ける。その不思議な童は、へそをいじると金の小粒が出せたので、男は家族もろとも喜んだ。金の粒は少しづつ貯まり、家は次第に豊かになった。一度に大金を得ようと欲張った妻が、童のへそを強く突いたところ、童は急に死んでしまう。悲しむ男の夢枕に童が立ち、自分の顔に似た面を作り、かまどに飾れば家が繁栄すると告げた。これが、かまど面の由来だという。鳥取には、このバリエーションが伝わっている。老夫婦が、子供が欲しいと願を掛けた。祈った甲斐があって、大晦日の晩に、顔をしかめた、余り可愛くない男の子を授かった。その子を愛した老爺は福に恵まれたが、冷たくした老婆は不幸な目ばかりに遭う。逆恨みした老婆が子供を追い出すと、途端に家は寂れてしまった。こういった説話からも、かまど神が福神だということが判る。
信越地方では釜神と呼ぶ、約1尺の木製人形2体を、九州では人形の紙の御幣を祀り、炉の自在カギや五徳を祠る地方もあったという。
かまどに関する言い伝えも多様だった。「杏林内省録」には、動物もかまど神を敬う事例が書いてある。子牛を産んだ後、牛は必ずお礼のために、かまど神の前に行くという。馬もまた同様だったらしい。
このように、かまど神は出産にも関連したようだ。家の中に妊婦がいる時に、かまどの修繕をすれば難産になると、群馬では言われていた。 
滋賀では、かまどの隅に刃物を置くと怪我をする、栃木には火事が起きるという伝承があった。和歌山では、薬をかまどの隅に置くと病気が長引き、刃物を置くと手が落ちる、もしくは手が切れると言われていた。長崎では、海や山へ行く時、かまどの炊き口のススを額に付けるとキツネやタヌキに化かされないという。同じく、河童に出会わないように、ススを付ける場合もあった。