道成寺の鐘

大宝元年に建立されたという紀州(現在の和歌山県)の道成寺には、安珍・清姫の道成寺の鐘伝説が残る。
昔、紀伊国にいた真砂の庄司清次の娘である清姫は、奥州白河から熊野詣でに来た僧である安珍に出会う。この安珍が大変な美形であったことから清姫は一目惚れをした。紀伊国で宿を借りた安珍に、清姫は夜這いをかけて迫ったが、安珍は「参拝中の僧であるのでそのように迫られても困る、帰りにはきっと立ち寄るから」と説得をしその場を逃れた。しかし参拝後は清姫のもとに立ち寄らずに去ってしまった。
安珍に騙されたことに気付いた清姫は怒り、上野の里で安珍に追いつくが、清姫を怖れる安珍は「自分は安珍ではない」と偽り、熊野権現に助けを求めて清姫に金縛りをかけ、その隙に更に逃げた。これにますます怒った清姫は蛇の姿に化けて執念深く安珍を追いかけたという。
安珍は紀州道成寺に逃げ込むが、蛇の姿となった清姫は火を吹きながら川を渡り追跡してきた。そのため安珍は道成寺の住持に頼み込み、梵鐘を下ろしてもらいその中に身を隠した。しかし清姫は周囲を探しまわり、梵鐘の中からうめき声がしたのを聞きつけると、この鐘に蛇の体を巻きつけ、火を吹いて鐘を熱し、そのまま安珍を焼き殺してしまった。そして清姫もそののち蛇の姿のまま入水し命を絶ったという。
蛇に転生した安珍と清姫は、道成寺の住持に供養を頼み、法華経の功徳によって成仏することができたとも伝えられている。
道成寺の梵鐘は清姫の炎で溶けて湯となってしまったと伝わる。道成寺では新たに鐘を作ろうとしたが、清姫の呪いのためになかなか鐘を完成させることができなかった。400年後にやっと鐘を作り、鐘供養をおこなった。この鐘供養の折に住僧は「参拝人は入ってもいいが、女性は入ってはいけない」と女人禁制を言い渡していたが、その場に突然白拍子が現れ、その白拍子が蛇に姿を変えて鐘を引きずり下ろしたという。これを清姫の怨念によるものと考えた僧たちの一心の祈念によって、白拍子は消え鐘はようやく鐘楼に上がったという。しかし吊られた鐘の音質は悪く、鐘を打ち鳴らすと近隣に災害や悪病が流行し死者が続出したという。
そのためこの鐘は山の中の竹林にうち捨てられていたが、豊臣秀吉の時代に、秀吉の家臣仙石秀久が山中で鐘を発見し、合戦の合図に利用した。そののちこの鐘を京都に持ち帰ろうとしたが、途中で重い鐘が運びきれず、やむなく土の中に埋めて立ち去ったという。
そののち近隣に災害などただならぬ出来事があいついだために、村人たちによって掘り出された梵鐘は、京都の寺町二条にあった日蓮宗寺院、妙満寺に納められたという。妙満寺の大僧正の法華経による供養によって鐘は怨念を解かれ、美しい音を響かせる霊鐘に変化したと伝わっている。
こののち道成寺には鐘が作られなかったため、今でも道成寺には釣り鐘が無い。そして、現在寺地を洛北の岩倉へと移した妙満寺には、今も梵鐘が所蔵されている。妙満寺では毎年春に清姫の怨霊を鎮めるための鐘供養が行なわれている。
女性が怨念を持った蛇となる話は『古事記』の本牟智和気王説話に出雲の肥河における蛇女との婚礼を題材とした物語があるほか、平安時代の『大日本国法華験記』(『法華験記』)、『今昔物語集』にも安珍・清姫の伝説について記述がある
安珍・清姫の道成寺の鐘伝説は能の演目『道成寺』のほか、長唄や人形浄瑠璃などに「女性の執念深い怨念の物語」として、さまざまな作品に取り上げられている。

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