付喪神、九十九髪、九十九神

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 付喪神(つくもがみ)とは、器物が長い年月を過したり、使う人の気持ちがこもったりすると妖怪化して、夜になると手足が生え、自由に歩きまわるといったように、怪しいふるまいをするよになるもののことをいう。
 大事にされている器物は、人間に対して協力的であるが、粗末に扱われたりした器物は、人にいろいろと悪さをし、最悪は殺してしまうこともある。
 また、古神道においては、古来より森羅万象には八百万(やおろず)の神が宿るとされ、古くから使われた物や、長く生きたものや自然のものに、神や精霊が宿るものともされている。

 「付喪神」は「九十九神」や「九十九髪」とも表記される。
 「九十九」の文字には「九十九年の長い年月や経験」などの意味合いが込められていて、また「九十九」には「百」から「一」をとったもので、すなわち「白」。九十九髪というのは、要するに「白髪(しらが)」を意味するということで、長生きをした人間のことを「九十九髪」だとも言った。

 付喪神が登場しはじめたのは、「土蜘蛛草紙」に原型ともいえる描写があり、それには五徳と牛が合体したものや、杵に蛇と人間の腕がくっついたものなどが描かれている鎌倉時代。
 室町時代になると、由来や設定がなされ、付喪神と命名されて中心に描かれた付喪神の黄金時代となる。
 室町時代の書物「付喪神記」の冒頭には、
「陰陽雑記に云ふ。器物百年を経て、化して精霊を得てより、人の心を誑かす、これを付喪神と号すと云へり」
と、ある。つまり、古くなった道具が妖怪に変化して、人の心を惑わすといい、これが付喪神と言われたということである。
 また、この内容では康保の頃(964~968年)、すす払いの行事で、都中の古道具が道ばたなどの家の外に捨てられた。その捨てられた古道具たちが、人間たちに仕返しをしてやろうと集まり、節分の日に、変化の神の力を借りて妖怪「付喪神」に変身した。付喪神たちは、平安京の町で徒党を組んでは夜の闇にまぎれて悪さを行い、粗末に扱われた恨みを晴らしていた。しまいには百鬼夜行を行うようになる。
 付喪神たちの悪事を知った時の帝は、ある僧正に調伏するように命じ、この僧正は眷属の「護法童子(ごほうどうじ)」を使って付喪神たちを退治する。そして最後には、反省した付喪神たちが仏門に入り、やがてみんな仏となっていくのである。
 この百鬼夜行を描いたものが、京都の大徳寺・真珠庵に所蔵されている「百鬼夜行絵巻」である。これには、草履・杖・傘・黒布団などの付喪神が描かれている。
 江戸時代以降には、付喪神は次第に廃れて行き、もっぱら妖怪として描かれるようになる。
 江戸時代に描かれたものには、鳥山石燕(とりやませきえん)の「百器徒然袋(ひゃっきつれづれふくろ)」などがある、

 付喪神として描かれているものには以下のようなものがある。
 ・唐傘お化け(からかさおばけ)/骨傘(ほねからさ):一つ目のついた傘が一本足でぴょんぴょん飛びまわる。
 ・経凛々(きょうりんりん):法比べに負けて、不要になって捨てられた経文の妖怪。
 ・暮路暮路団(ぼろぼろとん):古くぼろぼろになった布団の化け物。
 ・古籠火(ころうか):石灯篭が火の化け物になったもの。
 ・提灯お化け(ちょうちんおばけ):提灯に目と口のついた妖怪。
 ・箒神(はきがみ・ほうきがみ):箒に宿る神で、安産の守り神ともされている。
 ・雲外鏡(うんがいきょう):映し出したものの正体を見破るという鏡が妖怪化したもの。
 ・瀬戸大将(せとたいしょう):瀬戸物の寄せ集めの妖怪。
 などなど。