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どうもこうもは、熊本県八代市の松井家に伝わる『百鬼夜行絵巻』や北斎季親の『化物尽絵巻』などに描かれている双頭の妖怪である。一つの体に二つの頭を持つ妖怪で、片方の頭は口を閉じ、片方の頭は真っ赤な舌を突き出した姿で描かれている。また、丸く大きな眼の周りを真っ赤な粘膜のようなものが取り囲んでいるのも特徴的である。『百鬼夜行絵巻』や『化物尽絵巻』では、緑がかった肌に、ショートカットの黒髪、長い眉毛、鼻はなく、一本の首のうなじから後頭部にかけて二つの頭がくっついた姿で描かれているが、ある化物絵巻では、赤い顔と青い顔を持つ妖怪としても描かれている。
喜多村信節の随筆『嬉遊笑覧』の「化物絵」の項にも名前が挙げられ、絵巻によっては「右も左も」と書いて「どうもこうも」と読ませている場合もあるという。

この「どうもこうも」の名は「どうもこうもならない」の略だが、この「どうもこうもならない」という言葉にまつわる話として、石川県江沼郡(現在の加賀市)、長野県小県郡、高知県などに、以下の民話が伝わっている。

昔あるところに、「どうも」と「こうも」という二人の医者がいた。どちらも外科を専門とする名医であり、共に自分こそが日本一の医者であると自負していた。
あるとき、二人はどちらが日本一の医者か勝負しようということになった。この話は周辺にも伝わり、多くの見物人が集まる中、二人はこれまでの治療実績を披露することになった。しかし、二人は共に神業ともいえる腕の持ち主であったため、なかなか勝敗を決めることはできなかった。そこで、どうもとこうもは、自分たちの腕を実際に外科手術をすることで試すことにしたのである。
まず、二人はお互いの片腕を斬り落とし、それを元通りにつないでみることにした。勝負の結果は互いに甲乙つけがたく、腕は見事に元通りにつなげられ、傷口もほとんど残らないほどの出来栄えだった。そこで次に、お互いの首を斬り落としてつなぐことになった。あまりの大事に見物人が固唾を呑んで見守る中、二人はかわるがわる互いの首を切り落とし、見事この難業を成し遂げたのである。二人とも、またも傷口も残さないほどの見事な腕前で、勝負は互角であった。
どうしたものかと議論した挙句、二人は次に、同時に首を斬りおとし、同時にそれを繋ぐ手術をしようということになった。そして、互いに首を斬り落とした二人は、もはやそれを繋ぐ術もなく、どうもこうもできないうちに死んでしまったという。
それを見ていた見物人が事の顛末に呆れ果て「どうもこうもねぇな」と言ったのが、「どうもこうもない」の語源になったとも云われている。

この石川県と長野県、高知県に伝わる「どうも」と「こうも」という医者の話は、しばしば妖怪「どうもこうも」と関連付けて取り上げられるが、これはあくまで「どうもこうもならない」という言葉にまつわる話であり、この民話と妖怪との間には直接的な繋がりはないとも云われている。『百鬼夜行絵巻』や『化物尽絵巻』、『嬉遊笑覧』には、「どうもこうも」の姿や名前が記されているのみで、その名の由来や性質には謎が多いようである。
しかしながら、人間の意地の張り合いが時に死をもたらすことを教えてくれるこの逸話は、「どうもこうも」という妖怪が、悲しい人間の性から生まれたことを示唆してはいないだろうか。
因みに、「どうも」と「こうも」という珍妙な名で語られているこの逸話は、徳島県では『童孟と孔孟』の名で語られているようである。