江戸時代に流行した怪談集『怪談老の杖』に掲載されている口割れ女は、実際はいたずらキツネが化けた女で
旅人に声をかけては脅かして遊んでいたあまり性質のよくない妖怪と言われている。

またこの時代には口割れ女とも呼ばれており、現在この口割れ女は妖怪としてはあまりメジャーでは無いようだ。

権助という男が大窪百人町という町雨の中傘をさして歩いていると、道端に佇んでいるずぶ濡れの女がいた。

権助が気の毒に思い傘に入るよう言うと、ありがとうと振り向いた女の顔は口が耳まで裂けており、恐ろしい形相に権助は腰を抜かし
そのショックで廃人のようになってしまい、しまいには言葉も話せなくなった挙句に息を引き取ったとされている。

また江戸時代の『絵本小夜時雨』の中に描かれている口割れ女の記述によれば、吉原遊郭の廊下を歩いていた太夫を
客が引き止めると振り向いた太夫の顔は、口が耳まで裂けており、客はそのまま気を失ってしまったとも言う。

秋田県の平鹿郡益田町に出る口割れ女は、美女風の口裂け女と違い、口裂け女と同様に口は耳まで裂け、やはり顔半分をマスクで隠しているが
化粧をしっかりとしていた口裂け女とは違い、髪は長く手入れもされておらず、顔は不健康そうに見えており、同じように鎌を持っていて足が早かったそうである。

愛媛県の話では、口割れ女に遭遇してしまうと「ワタシ美人?」と尋ねられるが、無視したり答えない相手を包丁で刺し殺す物騒な女である。
そしてこの話を聞いてしまった者のもとには、3日以内に口割れ女が現れ殺されるという話があり、これがそもそもの口割れ女のルーツと言われている。

口割れ女に関しては口裂け女の別バージョンであるとも言われており、口裂け女とは違い初めからマスクをとって「私綺麗?」と
不気味に笑いかけたり、山を異常なスピードで走り回りることから、山奥に住んでいる田舎に住む精神異常の女がモデルになったと言われている。

この女は岐阜県初期の噂では、精神病院からの脱走者で、1970年代に大垣市の病院内に収容されていた精神を病んだ女性が
精神を病んでいるために口紅を顔の下半分に塗りたくった化粧で夜ごとに徘徊していたので、目撃者が言うには口が割れているように
見えたところから、口割れ女などと恐れられていたようだ。

また多治見市の心霊スポットにあるトンネルでは、精神病の女が徘徊してトンネルを通る子供を脅かしていたという話が元になったといわれ
その後も精神患者と口裂け女を結びつけるケースは多く、この話からわかるように特に岐阜県近辺が発祥である点が多いようである。

明治時代中期には、滋賀県信楽に実在した女性が恋人に会うために峠を下った町へ行く際、女が夜の山道を歩くのは物騒なので
白装束をまとい、顔には白粉を塗り、口には三日月型の人参を咥えて頭髪はわざと乱して、頭に巻いたハチマキに蝋燭を2本立て、手に鎌を持って峠を越えたと言われており
その姿は誰が見ても恐ろしい風貌であったようだ。

同様に岐阜県でも明治、大正時代には、女性が夜道を歩くときには、同様の丑の刻参りのような白装束で峠を越えて恋人のもとへ通ったという話は有名であるようだ。

岐阜県の加茂市近辺の話が現在の口裂け女、口割れ女のルーツとなっており、愛知県では母親が娘にした怪談話が人づてに変化していき、現在のよう
語り継がれている。

また口裂け女は3姉妹で、3人とも口が裂けており、口割れ女は3姉妹のうちのひとりであったようだ。

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