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1.儀式としての丑の時参り(=うしのときまいり、丑の刻参り=うしのこくまいり)
丑の時参り(※以下、丑の時参りで統一)は、呪いの儀式として知名度があるが、実は妖怪としての丑の時参りも存在する。
妖怪としての丑の時参りを語る前に、まずは儀式としての丑の時参りをおさらいしておく必要があるだろう。
丑の時参りについては、実際に見た、もしくは自分で行ったという人はほとんどいないはずだ。
これには大きな理由があり、丑の時参りについて正式な方法が書物に記されているわけでもなく、また呪術という分野においてもその効果が認められているわけでもない。
呪術という分野でも、丑の時参りは後付けされた歴史があり、儀式といわれている行動のほとんどが根拠に乏しいのが真実である。

  1. 丑の時参りの発祥 丑の時参りを初めて行ったのは「宇治の橋姫」とされている。 京都の宇治に公卿の娘がいたが、人を妬(ねた)む性格で常に妬(ねた)み・嫉(そね)みにとらわれていたという。 宇治の橋姫には気に沿わない女性がおり、貴船(きふね)神社の大明神に祈願した。 「どうか私を鬼に変えてください、その女を殺したいのです」。 大明神は21日間宇治川に浸ることで鬼に変えてやると約束し、宇治の橋姫に呪詛のための装束を言いつけた。 のちに、白装束で丑の時参りをすることになっているのは、その時の装束が受け継がれたといわれている。 また、丑の時参りには満願成就の条件として7日間の丑の時参りが必要とされている。 これは「宇治の橋姫が最初に貴船神社で大明神に頼んだ際、7日間篭って祈願し続けた」という謂れからである。 このことから、呪詛としての意味と鬼に姿を変えるという2つがポイントになるものの、現在の丑の時参りの象徴ともいえる人型のワラ人形や五寸釘が出てこない。 ワラ人形は丑の時参りの方法として後付けされたと考えられているが、これは鬼になった橋姫を退治するために使命を受けた安倍晴明が、人型の紙人形を使用していたから、という説もある。

3.丑の時参りの方法
前述の丑の時参りの方法には若干の差異があるものの、おおまかにみれば共通している。
『一般に丑の刻参りとは、白い着物を着け、髪は乱し、顔に白粉、歯には鉄漿、口紅は濃くつけ、頭には鉄輪をかぶり、その三つの足にローソクを立てて灯す。
胸には鏡を掛け、口には櫛をくわえる。履き物は歯の高い足駄とされる。そして寺社の古い神木に憎むべき相手をかたどったワラ人形に五寸釘を金槌で打ち込む姿が典型的な作法とされている。
そして人に見られる事なく七日間丑の刻参りを行い帰る途中に黒い大きな牛が行く手に寝そべっていると、それを恐れることなく乗り越えて帰るとみごと呪いが成就すると云う。』
これは貴船神社ホームページの「貴船神社秘話」コーナーに記載されていたとされる記述である。
現在ではこの記載のページは存在していないが、この引用はネット上で拡散されている。

4.丑の時参りと妖怪
宇治の橋姫がおこなったとされる丑の時参りは、貴船(きふね)神社の大明神に「相手の女を呪うために鬼に変えてほしい」と願ったことが始まりだ。
現在でも同じことが行われている丑の時参りだが、いつの時代もすでにその姿は人ではなく、鬼や妖怪に例えられるほどといわれる。
人を呪わば穴二つという言葉にもあるように、自分の墓穴も掘っているとされる呪詛には邪神(魔物や妖怪)を呼び出す力があるとされていた。
そのため、丑の時参りには妖怪を呼び出して相手を祟るための使い役にするという。