大百足

巨大な百足を退治する伝説は、俵藤太の伝承が有名。
室町期に完成した「俵藤太絵巻」上巻に描かれた大百足退治が、このストーリーの定型を成したと推定される。
近江勢田の橋下に古くから棲む竜宮の王は、長く大百足の害に悩まされて来た。
懇願に応じ、怪物・大百足を退治。その後、竜宮に招かれて歓待を受け、さらに不思議な俵などを贈られて帰る。
伝承では、他のディティールも付加されている。
よく知られるのは、依頼者が竜宮の乙姫に替えられているもの、藤太が剣と弓矢を携えて赴く、などのバリエーションがある。
百足の住処も三上山に替えられ、また大百足山は三上山を7巻き半すると、描写が増える場合もある。
滋賀に実在する三上山は、この伝説が広がった余波から、百足山の異名すら生まれた。
更に、藤太は矢を射たが大百足には通じず、最後の1本の矢に唾をつけ、八幡神に祈念して射て、ようやく大百足を退治することができたと、物語の増補も見られる。
藤太は乙姫からお礼として、米の尽きることのない俵などの宝物を贈られる点でも、相違がある。
そもそも、大百足と敵対していたのは竜神で、俵藤太に賴むのは竜神の娘という異同もある。
二人が出会う場面もある。瀬田の唐橋に大蛇が横たわり、人々が橋を渡れなくなくなる。通りかかった俵藤太は臆することなく、大蛇を踏みつけて渡る。
その夜、琵琶湖に住む龍神の娘が訪ねて来る。藤太が踏みつけた大蛇は、この娘が姿を変えたものだった。
娘は龍神一族が、三上山の大百足に苦しめられていると訴え、俵藤太に退治を懇願する。
俵藤太は、平安期に実在した武将・藤原秀郷の別名・俗名である。
藤原秀郷は平貞盛と手を組み、平将門を討伐したことでも名を成した。「俵藤太絵巻」中・下巻には、謀反を起こした平将門から、将門が馬上で討死する場面を描いている。
この成功も、竜神の加護によるという伝承もある。
一方で、成敗の相手が他に替わる例もあった。
秀郷の本拠地だった下野国の宇都宮では、俵藤太が百目鬼という妖怪を討つ伝説もあった。この百目鬼にあやかる地名も、現存するという。
下野には、日光山と赤城山の神戦で、大百足に変身した赤城山の神を、猿丸大夫が討つという話があり、これが秀郷に結びつけられたとも考えられる。
猿丸大夫については、次の物語がある。会津若松近くの小野嶽にいた猿丸太夫が、尾が光る鹿を追って、森へ入る。
日が暮れると、西から大蛇、東から大百足が出て、戦いが始まる。
実は、鹿は、蛇が変身して助太刀を頼んだ姿だったのだ。
猿丸太夫は、俵藤太と同じく、大百足を、唾をつけた矢で射る。
「著作堂一夕話」で馬琴も、大百足退治に言及している。実際に、瀬田と三上山は距離が遠い。百足の住んでいた山は、瀬田から1里ほど離れた、別の小山とする説もあったという。
「塩尻」でも、田原藤太に表記が替えられ、大百足を射殺すくだりに、天野遠景が朝廷で怪鳥を射殺す故事を並べて紹介している。江戸期には、この英雄譚が広く知られていた、証左と言えよう。
百足、蜈蚣とも表記するこの多足類は、自然界でも、大きな個体は100対を越える脚を持ち、特異な形態が忌み嫌われたのだろう。
越後では、百足と蜘蛛は人間の唾をかけたら死ぬと信じられている。これも、俵藤太が最後に射た矢からの連想と思われる。
飛騨に伝わる寓話も付記しておく。爺が隣人を盗み聞きし、近くに金箱があると知る。掘り出して、開けてみたら、百足でいっぱいだった。爺が怒り出したので、隣人が屋根の上から、箱の中身を撒くと、百足が金になった。

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