子泣き爺、児啼爺(こなきじじい)

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子泣き爺、児啼爺(こなきじじい)は徳島県山間部の妖怪とされている。
民俗学者・柳田國男の著書『妖怪談義』に登場している妖怪の一つであり、本来は老人の姿なのだが、夜道で、赤ん坊のような産声をあげるとされている。
よく言われている子泣き爺というと、泣いている子供を見つけた通行人などが、哀れに思い、抱き上げると、その体重は次第に重くなり、手放そうとしてもしがみついてきて放すことができず、しまいには命すら奪われてしまうという。
書籍によって、石のように重くなり、抱き上げた人間を押しつぶしてしまうなどという記述があるのだが、柳田國男によれば、おばりよんや産女に近いものとして、創作したものだと指摘している。
『子泣き爺の正体』
徳島県が伝承地とされている子泣き爺ではあるが、徳島県阿南市の郷土史家・多喜田昌裕の話では、どうやら徳島地方では、実際には子泣き爺の伝説は存在していないことが判明しているというのだ。

しかし、一方、徳島の伝説を集めた書籍でもある『木屋平の昔話』によると、山中で不気味な赤ん坊の声でなく妖怪、人間が抱き上げると重くなり、離れられなくなる妖怪などが記されているため、これらの妖怪譚が一つになるなどして、子泣き爺の話が生まれた可能性があるとされている。
多喜田昌裕の調査によると、『民間伝承』第4巻第2号の口承のあった地では、赤ん坊の泣き真似をし、奇声をあげるという、実在した老人がいたそうだ。
その老人の事を、子供達はとても不気味がっていたため、親が子供を叱る際には「あのお爺さんがやってくるよ」という感じで使われていたという。
『史跡』
2001年になると、多喜田昌裕と地元の有志団により、徳島県三好郡山城町(現・三好市)が伝承の発祥地と認定されたようだ。
現地には「児啼爺」の名の石像が建てられ、京極夏彦による「児啼爺の碑」も建てられてる。
2010年には、三好市市内の道の駅大歩危に妖怪ミュージアムとして「こなき爺の里・妖怪屋敷」がオープンし、多くの客が来ているそうだ。

『類話』
・子泣き爺のように、赤ん坊のような産声を上げるとされる妖怪がいる。
名前は「ごぎゃ泣き(ごぎゃなき)」
この妖怪は、四国に伝わっている妖怪で、高知県高岡郡新居の浜や幡多郡坂の下で白い赤ん坊が出てくると言う。
この赤ん坊も、夜道を歩く人の足にまとわりつくとされるが、草履を脱ぐと離れると言われている。
・徳島県美馬郡木屋平村(現・美馬市)では、一本足の妖怪が、山中を徘徊し、この妖怪が泣くと、地震がおこるのだそうだ。
このごぎゃ泣きが一本足と言われていることから、子泣き爺も一本足との説もあるようだ。
・東北の青森県津軽平内では、爺ではなく「児泣き婆(こなきばばあ)」という怪談話があるのだ。
その怪談とは・・和井内行松という者が山中で迷っていたところ、一人の老人に出会い、その老人の家に泊めてもらうことになった。
老人の家へ向かう途中で、赤ん坊の泣き声が聞こえ、その赤ん坊を老人が拾い上げた。
さらにもうひとつ声が聞こえたので、それを行松が拾おうとしたところ、その赤ん坊はなんと顔がしわだらけの老婆で、重くて持つことが出来なかったという。
ところが、老人はたやすく拾い上げたという。
やがて、老人の家へたどり着き、老人はなんと、その赤ん坊を鍋に入れて煮始めたのだ・・
しばらくし、鍋の蓋を開けると・・中身はただのカボチャだったという。
翌日、昨日食べたものは本当にカボチャだったのかと老人に尋ねると、老人は、「あれは児泣き婆だ」と答えたという。
『現代に伝わる子泣き爺のイメージ』
民話などの伝承で伝わる子泣き爺は、上記のように、悪さをするような妖怪と解釈されているが、、現代の子泣き爺は、漫画「ゲゲゲの鬼太郎」の影響もあり、正義の妖怪として表現されている事が多い。